IDDMで通院

昨日13日は定例の通院日。

前回までの受診とは違い、今回は診察の一時間ほど前に受付、血液検査、尿検査を済ませ、その検査結果を待っての診察という予定。
検査結果がその日に判明するので少し時間はかかるが、待っていてもそんなに苦にならない。

実際は、診察待ちの患者さんが少なかったためか、いつもより待ち時間が短く感じられるほどで、ちょっぴり拍子抜け。
待ち時間中にかなり読み進めるはずだった「カラマーゾフの兄弟」が変なところで中断させられ診察室へ呼ばれた。

ということで、前回と今回の2回分の臨床検査報告書が一緒に渡された。今回分は至急報告書となっている。たしかに至急かもしれない。
報告書を見ると、前回のHbA1cは6.4、そして今回は6.9。今回かろうじて7パーセントは切ったが、思っていた以上に結果が良くない。
主治医もそのへんが気になったらしく、7パーセント前後がちょうどいいと言う前言は何処かへ行ってしまったようで、私の血糖測定表を見つめたまま考え込んでいる。測定表の備考欄に書き込んだコメントにその原因を探しているようだ。

ふいに、「炭水化物だな」と主治医。
たしかに、最近、食事のメニューが変わってきている。
今までは、私は私自身の食事を用意してそれを食べていればよかったが、母の入院騒ぎ以来、母の料理も私が作るようになった。当然、母用の食事を私も一緒に食べる。
まあ、そんな理由もあって、このところの血糖値の暴れようは半端じゃない。高血糖だと思ったら低血糖。かと思ったら今度は高血糖、と言った具合。

食品成分交換表をもとに食事を見直す必要があるな、と主治医は言うが、私はあまり真剣に考えていない。
ちょっとは考えてもいいが、疲れるだけ、と言う気がしないでもない。
10年ちょっと前、発症直後はきちんと計算して食事を取っていたが、それも何年か続いただけでその後は勘で食事量を決めていた。結果はあまり芳しいものとはならなかったが、神経質に考えすぎるのもどうかと思う。

だが、とにかくHbA1cは6パーセント台をキープしたい。そのためのちょっとした努力・・・(なんか言葉が野暮ったい)・・・ぐらいならなんとかやってもいいかな。

今回の総支払い額は10,970円。4週間分にしてはちょっと高い?

Fedora7からFedora8にアップデートして約半月。初めのころはいろいろな設定が面倒で、インストールしたままWindowsXPを使っていたが、やっとメールと親指シフトの設定も終わり、最近メインのOSに復活。今では電源投入でFedora8が立ち上がる。

とは言っても、Ubuntuにも気持が惹かれていたので、こちらもインストールしてみた。
うまくいけばマルチブートとなったわけだが、Fedora8を残したままUbuntu7.10をインストールしたものの、ブートローダーがFedora8を認識してくれない。どうもパーティション設定が正しくなかったようだ。

Ubuntuのデスクトップが表示されたとき、驚いたことにWindowsXPのパーティションがアイコンとして並んでいる。しかも、アイコンをクリックするとWindowsXPのファイルがズラズラと出てくる。そのファイルかUbuntu上で開けるからまたまた驚き。

たとえば、ビデオファイルをクリックすると必要なコーデックを検索し、見つかると自動的にインストールしてくれる。なんとも至れり尽くせりだ。簡単にWindowsXP上のビデオファイルがUbuntuで観ることができる。
Ubuntu恐るべし! こんな芸当を見せられるとUbuntuにグラッと傾いてしまったが、じつは、今はFedora8に戻している。
つまり、Fedora8を再度インストールしたというわけ。

できればUbuntuを残したかったところだが、Fedora8のインストールでは手動で狙ったパーティションにインストールすることはちょっと無理のよう。仕方なくせっかくインストールされたUbuntuは削除するはめになった。できないことはないのだろうが、如何せん知識不足は否めない。

Fedora7に比べてFedora8外観は、全体的に手を抜いたかなといった印象がある。ちょっと野暮ったい感じがする。
デフォルトの背景が時間と共に変わるのは面白いが、これもくすんだ色がどうも好きになれない。
どっちみちデフォルトの背景を使うことなどないのでどうでもいいことだが、Fedora8が出たばかりなのにFedora9がちょっぴり待ち遠しい。

でも、中身は進歩しているようだ。
CNET Japanによると次の通り。

●Fedora独自の機能を削除できる。これで、簡単にFedoraからユーザー独自のディストリビューションを作れるようになる。
●接続されたプリンタの検出、ドライバの自動インストール、プロセス経過の通知が向上。
●時間の経過とともに徐々に色が変化する画面の背景。真夜中は暗い画像で、夜明けが近づくにつれて次第に明るくなり、日中は明るい青色になる。
●オーディオ機能を向上させるPulseAudioアプリケーション。たとえば、プログラムによって異なる音量を設定したり、ユーザーの切り替え時に音楽の再生を中止したりすることができる。
●GNOMEオンラインデスクトップ。ブログ更新の通知、再生中の音楽の情報などをグループで共有できる。
●ティックレスカーネル。コンピュータがビジーでない場合にアイドル状態にして、消費電力を下げ、効率を高める低レベル機能は、Fedora 7では32ビットシステムのみ対応であったが、Fedora 8では64ビットシステムでも利用できるようになった。
●Linuxのかねてからの問題にも対応している。サスペンド機能、特殊キー、モニタのバックライトなどのノートPC機能のサポートが強化されている。

ざっと上記のような感じで進歩しているらしい。
使い心地も悪くないし、何よりいろいろ設定を変更したり弄っていて楽しい。
ウィンドウズでしか使えないソフトが多い現状では、まだ完全にリナックスに移行することはできないが、たいていのことはリナックスでもできるようになってきた。
ウィンドウズ離れがさらに進んだことは間違いない。

糖尿外来

昨日は世界糖尿病デー。東京タワーがいつもの色からブルーに変わった写真が新聞に載っている。いつもの色よりこちらの方がず~っと綺麗に見える。
でも、なんでブルー?
たしかに私にとって糖尿病はブルーそのものだが、気持はもっと明るい、暖かい色であって欲しいね。
ま、そんなことはどうでもいいが。

今日は5週に一度の糖尿外来の日。
最近の血糖値の乱れようは血糖管理を忘れてしまったかのように激しい。主治医がどんな風に私の記録を見るのか、ちょっと意地悪く、楽しみだったが・・・。

予想通りHbA1cは今回も優秀。またも記録更新の6.1。このところ、コンマ1ずつ記録を更新している。
この調子でゆくと5パーセント台も見えてきた、と私が言うと、そこまで下げる必要はまったくないと主治医。
低血糖頻発の結果の良好なHbA1cが、誰の目にも不自然に見えるのは当たり前のことかもしれない。

だが、今日の検査結果は、おそらくHbA1cについては記録更新などないだろう。そんなに上がってはいないかもしれないが下がるはずはない。
もう、この辺でHbA1cを下げるだけの血糖管理は終わりにすべきなのか。目標がなくってしまうようでちょっと寂しいが。

次回からは一時間前に検査を済ませ、検査結果が出た時点で診察を受けることになった。
今よりも病院に長く留まることになるが、結果がその日にわかるのでとくに反対する理由もない。素直に「いいですよ」と返事をした。

今日の支払い金額、10,230円。

先月から読み始めた「カラマーゾフの兄弟」の第一巻をやっと読み終えた。
以前、「でも、なんとなく、近いうちに読んでいる自分が想像できる」と書いたが、その通り買ってしまったというわけ。

第一巻を読み終えるまでにだいぶ時間がかかったが、翻訳も評判通り読みやすいし、なんかへんちくりんな序文を通りすぎると次第に面白くなってきた。
普通だったら第一巻を読み終える前に第二巻を買っておくべきだが、まだ第二巻は手元にない。
第一巻の定価は760円、第二巻は820円、第三巻880円、第4巻1,080円、第五巻エピローグ別巻660円と、最終巻を除いて尻上がりに値段が上がってゆく。
最後まで読むといったいいくらになる?

・・・とは言っても、第二巻を買うのは時間の問題だろうな。ここで読むのをやめられるわけがない。

主人公アレクセイ(アリョーシャ)はロシア正教会の修道僧の設定だが、第一巻の付録として書かれている読書ガイドでは、ドストエフスキー自身はカトリック嫌いだったと書かれている。しかもイエズス会に対する嫌悪は、並々ならぬものがあったとか。
それだけ、カトリックとロシア正教との間には深い溝があったということなのかもしれない。
その点、私などはカトリックだろうがプロテスタントだろうが、どちらでも違和感を感じないのはいったいどうしてなんだろう。

キリスト教の歴史に対する無知?
それも少しはあるかも。

IDDM(1型糖尿病)患者にとって、インスリン注射はどうしても避けて通れない、毎日の決められた勤めぐらいに考えている。嫌だったら注射をしなければいいわけで、ただその場合、何ヶ月後には確実な死が訪れる。

私の場合は毎日5回、1年では1,825回、10年では18,250回に・・・?
一回につき10円を貯金すれば、5年を経た暁には91,250円が貯まることになる。デスクトップコンピューターが一台買えそうだ。

それほど重要なインスリンなのだが、けっこう持ち運びや一カ所にまとめて整理するのに苦労したりする。既製品で、「これは」というものが意外とないからだ。

そんなわけで、私も小さなボーチに入れたり、小ぶりのケースに入れたりいろいろ工夫して持ち歩くことが多い。
最近では下の写真のようなものを使っている。

100円ショップで買ったプラスチックボックスを少し加工して、携帯用ツールボックスに仕上げてみた。大きさは、縦140ミリ、横200ミリ、厚さ42ミリとちょっと大きめ。
本当はもう少し小ぶりなもので作ってみたが、どうしても超持効型インスリン・ランタスがすんなりと入らない。

どういうわけか、ランタスというインスリン注射器は絶望的にでかい。
しかも、無骨なデザインといい、使い勝手の悪さといい、ケチをつければいくらでも出てくるが、まあ、そのうちに良くなるだろうと、できるだけ好意的に考えることにしている。

で、仕方なく写真のようなものにした。弁当箱よりは少し小さいかなと言った感じ。
これを普段は私の部屋の机の上に置いてあるが、ときどき食堂の食卓の上に置きっぱなしにしてしまう、母の介護ヘルパーさんがこれを見て不思議に思っていることだろう。だが、「これは何ですか?」との質問もしてこない。もうとっくに承知済みなのかもしれない。

先日、眼科の受診があったので、ランタスとノボラピッドの2本を袋に入れて病院へ向かった。11時の予約だったのでランタスを病院で打つ可能性は高い。食事は帰ってからでもいいが、超持効型インスリン・ランタスは12時には注射をしなければならないからだ。
昼12時と夜12時の2回打ちだから、12時前後15分以内には注射することにしている。

そのうち、院内放送のスピーカーから12時を知らせるチャイムが響いてきた。さてどうする・・・。
廊下で診察を待っているひとは多かったが、かまわずその場で注射することにした。
隣のひとは何か珍しそうにしていたが、他人の目など気にせず手際よくいきなり腹に注射。何事もなかったように終えると、周りの人達は見て見ぬふりをしてくれている。

毎日のように私の注射を見ているのは家族と猫。家族と言っても今は母だけだが、猫の方は、「この人なにやってんの?」とでもいった表情でじ~っと不思議そうに見ている。

もう何年前になるだろうか、飛行機で10時間以上も旅をしたときのこと。何時間も乗っていると注射の機会も何回か訪れる。余裕があればトイレに行ったときに注射を打つが、そうもいかないときもある。

気が付いたときには機内食のワゴンがもう目の前。すぐにインスリン注射を腹に打った。これを隣の黒人女性にしっかりと見ていた。
別にひるむことでもないので、平然としていると、その女性の態度が急変。その女性の方にはみ出していた毛布を私の方に払いのけてきた。不愉快感が顔に出ている。

今まで10年以上インスリン注射をしてきて、何度か人前で注射を打って見せてあげた。面白がって見せたわけでなく、やむなく見せてやっただけだが、不快感をあらわに出されたのはその飛行機上の一回だけ。

人前で堂々と麻薬注射をするものなどいないと思うが、インスリン注射が麻薬注射と間違えられる可能性はないとはいえない。一生、インスリン注射が必要なIDDM患者にとって、そんな誤解が心の中にちょっとした傷を残す。気が付かないところで、トラウマ(精神的外傷)となって残ってしまうのだ。

IDDMとはInsulin Dependent Diabetes Mellitusの略。これを日本語に訳すと、「いとしい、だれかが、どこかで、まっている」だとか。
いとしい、て誰?

朝、まだ眠りのなか、電話のベルで起こされた。時計の針はは午前5時ちょっと過ぎを指している。
母の入院している病院からの電話だった。

昨日、午後3時頃に病院へ行き、リハビリまで車椅子で連れて行った。ひと通りリハビリが終わり、そのあと病院の外へ気分転換のつもりで車椅子に乗せたまま出てみた。どうもそれが間違いだったようだ。玄関近くでタクシーが客待ちをしている。それを見た母は、急に家に帰ると言い出した。病室に戻っても「帰る」を繰り返す。
最後は主治医に説得をしてもらったがだめだった。主治医からは外泊許可が出た。だが、外泊許可が出ても家に連れ帰る準備ができていない。仕方なく睡眠薬で気分を落ち着かせようということになった。
やっと寝ついたのは午後8時。寝たのを確認して私も家に帰った。

この顛末が今朝の緊急事態に繋がってしまった。
午前7時、病院に着いた。病院はまだひっそりとしている。
病室ではバンドを巻かれて母がベッドにしょんぼりと座っていた。
すぐに夜勤の看護師がやってきてバンドをはずしてくれた。母もやっと落ち着いてきた。
夜中にベッドから降り、周りを歩いているとき転倒したらしい。

明後日に通院して検査を受けるという条件で今日退院することに決まった。
だが、今日は私の受診日、午後4時の診察が終わらないと退院できない。困ったことに、母はそれまで待てないと言う。
とにかくなだめてベッドに寝かしつけた。あとで必ず迎えに来るからと言い聞かせてもなかなか納得しない。
かわいそうだが、いつまでもわがままを聞いていてもどうしようもない。とにかく家に帰り、昼食を食べて大きなバッグを持ってまた病院へ。

バッグにパジャマ、タオル、その他入院時に持参したものを入れ、着替えを済ませて車椅子に載せた。やっと帰れると喜んでいる。そのまま私の診察室の前で待ってもらうことにした。

さて、私の診察は?
HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)は6.2。また記録を更新した。
状態は良くなっているが、やはり低血糖が問題だと言う。
少しHbA1cの数値は悪くなっても低血糖を無くすようにしようということで、超持効型インスリンを1単位減らすことになった。

血液採取などを済ませ、会計で支払い。支払額は12,370円。母の入院費の約二分の一。母の入院費が安いと言うべきなのだろう。ちょうど一週間の入院で25,830円の支払い。

このあと母のケアマネージャーと我孫子市の社会保健士、それと病院の相談員とで退院後の打ち合わせを行い、午後6時に晴れて退院。
家に帰った母は夕食を済ませ、すぐに眠りに着いた。やっと落ち着いて寝ることができるのだろうか。

母の入院

タオル、バスタオル、スリッパ、歯ブラシ、コップ、それと・・・・・・。100円ショップでリストアップされた項目をひとつひとつつぶして袋一杯に。
家に帰って、今度はパジャマ、下着、オムツなどを別の袋に入れ、それを自転車のカゴに無理矢理押し込んだ。
気分はちょっと重いが病院へ向かった。

病室へ入ると母がベッドの手すりにつかまってなにかよちよちと不思議な動きの歩き方をしている。でも起き上がっている、元気になったのか?
「何をしているの?」と聞くと、掃除をしているのだと言う。
ごみなどない綺麗な病室の床を見回し、カーテンを少したぐり寄せては点検。
認知症が一気に悪化してしまったのだろうか。

ナースステーションで母の状態を聞いてみた。
環境が変わったとき認知症が進んでしまうことがあると担当の看護師さんが説明してくれた。
昨日までは、なんでこんなになってしまったのだろうと自分の情けなさを嘆いていた母が、今日はわけがわからなくなってしまっている。

ベッドに座らせて少し落ち着かせてみたが、どことなくぼーっとしている。
「私が誰だかわかる?」
少し考えていたが答えがない。目はうつろで表情が死んだように頼りない。
もう一度、そしてもう一度、同じことを聞いてみた。
やっと私と分かったのか、わたしの名前が母の口から出た。
急になにか悲しくなって、涙が出そうになった。

まだ熱があって、点滴中に嫌がって針を抜いてしまうのだと、病室に入ってきた看護師さんが説明してくれた。
「点滴をきちんとやらないと良くならないよ」と私が言うと、「わかった」と素直に返事をする。

受付で入院保証書を提出して病室に戻った。窓の外を見つめてまだぼーっとしている。
「じゃ、そろそろ帰ってもいい」と言うと、「どっちでもいいよ」とそっけない。

しばらく無言のあと、「それじゃ帰るからね」と、ほんとうに帰ろうとすると、「私をひとりおいていくの」と言い出した。
また明日来るからとなだめると、今度はベッドに寝かせてくれと言い出す。
熱で節々が痛いのか、ちょっと動かすだけで「痛い痛い」を連発する。大げさに言っているのではないかとさえ思えてくる。

やっとのことでベッドに横になった。だが、気分が良くないのか不平の言葉を口にしている。
氷枕をきちんと頭の下に入れ、電動スイッチを調節して頭を上げたり、足の部分をあげたりしていろいろやってみたがまだ不満があるらしい。
いったん平らに戻して頭の部分を少し上げたらやっとOKが出た。

夜勤の看護師さんが入ってきて、熱と血圧を測りだした。
「可愛い看護婦さんね」と愛想がいい。
まだ熱が高いと、その可愛い看護婦さんがつぶやいて、てきぱきと器具を片づけて病室を出て行った。

気分が良くなって気持も落ち着いたのか、ぼーっとした雰囲気は消え言葉もはっきりしてきた。
しばらく話をして、帰ることを告げると今度は快く承諾してくれた。

病院の玄関から出ると外はもう真っ暗。寂しさがひとりでに沸き上がってきた。なぜか、涙が出てきた。
あんなにしっかり者だったひとが、今日はまるで別人のようだった。

フランシスコ・ザビエルはイエズス会から派遣された宣教師で、イエズス会の創設者7人のうちのひとり。
そのイエズス会の初代総長がイグナチオ・デ・ロヨラ。

私がイグナチオ・デ・ロヨラの名前を知ったのは大学に入学したときで、今から40年前のこと。
大学の隣に教会があって、名前が聖イグナチオ教会。
なんか不思議な名前だなというのがそのときの率直な感想。その聖イグナチオがイエズス会を創設し、初代総長だということはそのときはまったく知らなかった。

イエズス会のことは、高山右近や細川ガラシャ夫人についての本を読むと必ず登場してくる。その初代総長のイグナチオ・デ・ロヨラにも少なからず関心はあったが詳しいことはわからずにいた。
そして今回、彼の著書を初めて読んだ。本の名前は「霊操」。

イグナチオ・デ・ロヨラの生涯は、たしかに並外れただったかもしれない。しかし、どうして、ひとの考えも及ばないほどの強いキリストの戦士になったのか。その秘密を探ろうとロヨラの精神とも言われる「霊操」のページをめくってみたが、どうにもよくわからない。
読み終えてしばらく経つが、未だにわからない部分も多い。

文中、頻繁に「われわれの貴婦人」という言葉が出てくる。おそらく聖母マリアのことだと思うが、我々プロテスタントにとっては単なるイエス様の母との認識でしかない。カトリックでは聖母マリアを特別な人と考えているようだ。とにかく随所に「われわれの貴婦人」という言葉が出てくる。

長い間、この本と格闘していたような気がする。ルターの「キリスト者の自由」は短いこともあってすぐに読み終えたが、この「霊操」はさっぱり読み進めないでいた。
訳者の解説文が長く、禅と比較しての解説はそもそも禅のことに詳しくない私には有用な解説ではない。そこで、本の半分ほど読み進めてからは解説文は読まないことにした。すると、それまでの停滞は姿を消し、一気に読み進めることが出来た。

でも、この本は読んでどうなるというものではなかった。霊操(霊的エクササイズ)の実践書であり、霊操者と霊操を受けるものとの間の細かな点まで考え抜かれた、相対峙しながらキリストへの信仰と自身の霊的成長を堅固にするための方法論を書いたもののようだ。

上智大学のサイトにイエズス会と「霊操」のことが詳しく書いてある。

 現在もイエズス会員は司祭に叙階される前と後に2回、30日間の黙想を行っていますが、この黙想の教本が『霊操』です。この霊操はイエズス会の精神的な基盤となり、学校経営の教育方針ともなっているものです。霊操の精神修行に入る者は、まず第1週目は己の生活方針を認識する「原理と基礎」の黙想を行い、ついで「罪」についていろいろな考察や反省がなされます。

 この黙想が終わると第2週目に入りますが、ここでは「キリストの国」についての黙想です。

 霊操者はキリストを見つめ、主は神の国のため、共に奉仕するように、また世にあふれている悪と戦うように呼びかけます。このキリストの呼びかけを霊操者は拒否することはできません。しかしこの戦いは空しい名誉とか、物質的な利益とか、世の中で高い社会的な地位を狙うための競争ではありえません。

 それは貧しいキリストと共に貧しくなり、世に見捨てられたキリストと共にさげすまれる「十字架の道」を選ぶことを意味しているのです。
かなり厳しいことを書いている。
そして、この本を読んでいていちばん心に残った文章。
「病気よりも健康を、貧しさよりは富を、不名誉よりは名誉を、短命よりも長生きなどを好むことなく、・・・・・・」
私自身は、まだ若いころ洗礼を受け、このような考えが少なからずあったような気がする。しかし、仕事に追われ、年を重ねるごとにそのような気持は薄れることはあれ、思い出すことさえなくなってしまった。
自分とは遠い世界の感じもするが、逆にこのような心境に戻したいという気持も強い。

Zonbuって何?

Zonbuとかいうリナックスベースの小型コンピューターがあるらしい。
本体が99ドルと安い。
ただ、モニターやキーボードを別に用意しなければならないので、99ドルですぐに使えるということではないようだ。
さらに月額利用料金が必要となってくると、はたして安いのかどうか。

Zonbuのホームページにはこんな風に書かれている。

Good things come in small boxes
Zonbu is a compact, ultra low power mini with all the bells and whistles:

Intel-compatible ultra-low power CPU
512 MB RAM + 4GB flash-based local storage
Graphics up to 2048 x 1536 (16 million colors, 75 Hz). Hardware graphics and MPEG2 acceleration
PC-compatible ports for keyboard and mouse
6 USB ports to plug-and-play all standard USB accessories
Broadband ready: 10/100 Mbps Ethernet built-in

インテルの超省電力CPUを使い、メモリーが512 MB、ハードディスク代わりに4GBのフラッシュメモリーを使用、キーボードとマウスのポートも用意、6個のUSBポート、10/100 Mbpsのイーサーネットでネット接続も可能、といったところでしょうか。

ブラウザやメールソフト、オフィスソフト、画像ソフト、ホームページ編集ソフトとひと通りのアプリケーションが揃っているので、これで大体の作業は出来るらしい。
ま、私的に考えても、これだけで十分かなとも思える。

で、気になる月額料金。
ハードディスクが付いていないので、そのためのオンラインストレージにファイルなどを保存する必要がでてくる。その月額料金は容量25Gバイトの場合で12.95ドル、10Gバイトで19.95ドル。
これにはメンテナンス量も含まれているらしい。
でも、、これって2~3年使い続けるとけっこうな金額になってしまう。
だったらハードディスク付きのコンピューターを買った方が安上がり?

Zonbu
http://www.zonbu.com

「カラマーゾフの兄弟」の新訳が読みやすいと評判になっているので、その本を探して本屋へ。
まず目に入ったのは新潮社版。だが、表紙のデザインが違う。上中下巻の3冊だが、各冊が分厚い。

レジで別の出版社のものはないですかと尋ねると、出版社名はわかりませんかと。
たぶん・・・、光文社。

案内された一角にやっと見つかった。ただし、4巻のみ。他の巻は売れ切れてしまっているので取り寄せになると言う。
しかし、この残っている第4巻もずい分と厚い本だ。1巻から4巻まで読み終える自信が急に萎えてきた。

そんなわけで、注文は保留にして店をあとにした。
ま、時間はあるし、少し考えてからにしよう。

でも、なんとなく、近いうちに読んでいる自分が想像できる。

今日は通院日

今日はIDDMの検査日。

先月の検査結果が出た。HbA1cは6.3。前回よりも0.1下がってまたまた記録更新。
糖尿病患者に対するインスリンメーカーが設定しているHbA1cの目標値は6.5以下。いちおう、この数値はクリア。しかし、記録は更新したものの嬉しさはあまりない。

血液採取までの5週間、35日間の低血糖の回数は20回。これだけの低血糖を引き起こせばHbA1cが下がっても不思議ではない。少し低血糖が多すぎることは誰が見ても明らか。
主治医も低すぎると指摘。まあ、仕方がないかな。

毎回、臨床検査報告書のコピーをもらっているが、ずらりと並んだ項目の数値はほとんど基準値内におさまっている。
今回、基準値外だったのは総タンパクと血糖が基準値以下、HbA1cが基準値以上となっている。HbA1cが高いのは当然だが、血糖はたまたま採血時に低かったということだろう。
前回、基準値以下だった白血球数は今回は基準値内に戻った。白血球数はときどき下がるが、すぐに元に戻るのでとくに問題にするほどでもないらしい。

先月の受診のとき、インスリン量を全体で3単位減らしているので、今回は血糖値の平均も当然高くなっている。今日の検査ではHbA1cが7パーセント台に逆戻りしているかもしれない。

今日の支払いは全部で12,370円。先月とまったく同じ。

病院の診察と検査が終わったあと、コンタクトレンズの引き取りに柏駅前まで直行。午後6時近かったが店内は一人もいない。静かなものだ。
コンタクトレンズを受けとってすぐに装着してみたが、両目に付け終え周りを見渡したとき、いきなり目眩が・・・。
一年ぶりに両目に付けたので焦点が合わなかったようだ。
でも、そのまましばらく装着したまま歩いていたら少し慣れてきた。これがずっと使えるかどうかまだ分らないが、今のところはよく見えている。

ヒアルロン酸

行かねばならないと思い続けていたコンタクトレンズの処方に今日やっと行ってきた。場所は柏駅の真ん前のビル。土曜日なので混んでるかなと想像していたが意外とそうでもなかった。
担当者の手際よさにちょっとびっくり。てきぱきと検査を進めてゆく。大きな病院の眼科よりもよほどキビキビしていて気持がいい。

ひと通り検査をしたあと、眼科医の診断となった。
私は円錐角膜と一型糖尿病の疾患をもっているので、そのことをありのままに話したが、先生にはあまり興味がなかったようだ。
角膜に傷があるのでヒアルロン酸の目薬を処方しておきますと先生が言う。どうしてヒアルロン酸なのですかと尋ねてみた。
角膜を保護して丈夫にするので、とくに糖尿病の人には必要とのこと。前回、いつも通院している病院の眼科でもヒアルロン酸の目薬が処方された。いつからヒアルロン酸が角膜保護ということで使われだしたのだろうか。最近なのだろうか。それとも私が気が付かなかっただけ?

ヒアルロン酸と聞いて少し昔のことを思い出した。

10年ちょっと前、中学校増築工事の現場代理人をやっていたとき、私の所属する建設会社が倒産した。そのあとの工事を保証会社の地元建設会社が引き継いだのだが、私もその会社に移籍して工事を続行してくれという。
引継式は市役所の一室。その場で私はA社からB社に移籍した。
工事は無事終了。しかし、私はその会社を辞めてしまった。
何故?

「私の会社は倒産することはない」と言い放った、ある中堅ゼネコンの部長さんの言葉についふらふらと・・・。
話を聞いていると、どうも急ぎの仕事があるらしい。
仕事の内容を尋ねると、工場の建設だと言う。現場所長がいるので手伝ってくれればいいとのことなので、それならばと引き受けた。

数日後現場に行くと、ちょっと様子がおかしい。何日もしないうちに杭打ち重機が入ってくるというのに、新築工場の位置と杭芯の位置を誰も確認していないのだ。
下請けの業者が施工図通りに仕事を勧めてはいたが、元請けのゼネコンの社員が誰も確認していないとはなんということ。

所長は確かにいたけれども、大きな工場群の雑工事に忙しくて新築工事どころではないらしい。
けっこう大きな、最新設備を備えた医薬品工場だ。
設計は日本でも有数の設計事務所。その担当者はオリンピック施設の設計側責任者。厳しさでは有名な人だという。
結局、私がその工事をやることになった。もちろん、ちょっとためらいはあったが、ここまで来たらやるしかない。そんな気持だった。

ヒアルロン酸と塩化リゾチウム。それがその新工場で製造する予定の医薬品。
工事中、その工場の責任者にヒアルロン酸というのはなんですかと聞いたことがある。
いろいろな使い途があって、化粧品の保水剤として入っていると説明してくれた。
それが、まさか目薬の主成分となって自分の目の角膜保護に使われるとはさすがにそのときは想像もしなかった。

春のワルツが終わってしまった。
なんだかんだと批判めいたことを書いてきたが、終わってしまうとなにか寂しさが残るから人の心はうつろいやすいということか。

チェハとウニョンがオーストリアで出会う場面と結婚式の場面はYouTubeで見て分かっていたので、結局ハッピーエンドで終わることは事前に承知していた。
だが、前回までのストーリー展開では、そのような気配はまったくなかった。予告編でも、違う方向に進むのかなと考えていたが、どのようにして最終話でハッピーエンドにもってゆくのか興味津々で見ていた。

記者会見でのスホの父親によるスホの否定とその後の交通事故死。
そして、チェハが指に怪我をしてピアニストであることを断念。そしてオーストリアにイナと一緒に旅立つ。
しかし、イナはチェハとの結婚を諦めて韓国に帰国し、逆にウニョンにオーストリア行きを勧める。
なんという勝手な言い分なのだろうか。それともほんとうに良心から?

ウニョンもすぐにオーストリアに向かうが、住んでいる場所は聞いてこなかったのだろうか。前回、島でチェハと偶然かそれとも必然か、とにかく林の中で出会うが、今回も同じような出会いが待っていた。
オーストリアの街の小さな橋の上でチェハとウニョンがまるで偶然に出会うなどということは、もう運命的出会いを超えてしまっている。もし言えるのならば神の摂理といった方が良いくらいだ。

場面は韓国の島に戻り、チェハとウニョンはウニョンの母の墓の前で二人の結婚を報告する。
そして、結婚式へと場面は急展開。

こうなることは分かっていたが、ちょっと意表をつかれた感じ。
でも、よかったよかったでいいのかな。
実際は、これからが大変なのだが、いまはそんなことはどうでもいい。そう思えるくらい祝福してやりたくなるから不思議だ。

しかし、最終章一話では少し強引だったかなと言う感じは捨てきれない。今までのゆっくりとした展開とはうって変わって、今回の最終章は急展開の連続。まあ、このくらいの展開のほうが見ていて面白いけれどもね。

もうすぐ9月

天気予報では涼しくなるようなことを言っていたけれども、今日も暑い一日。
でも、そろそろ涼しくなってくるのだろうか。毎日水風呂に入っていたけれど、それももう終わりに近い。

昨日は阿部内閣改造でテレビもラジオも特別番組一色だったが、どうも私には興味がわいてこないので、実感もないし、ピンとこないことばかり。
いっそのこと、民主党にバトンタッチして、自民党は野に下った方が日本のためにはいいと思うのだがね。ず~っと同じ政党が政権を握っているのは良いはずがない。あっちこっちが腐ってきているのに、掃除することも、治すこともできないでいる。
政権政党が変わると、おそらく出てくるだろうね、さまざまな闇のなかだった悪しきものが。

ところで小池百合子前防衛大臣はどうしちゃったんだろう。あんなに張り切ってライス国務長官と仲よくしたり、気の合っていることをアピールしていたのに。そして、急に私は内閣に残りません?
官房長官が去るのだから、おまえも去れ、とでも言われた?

高校時代はテニス部に所属。そして、大学は関西学院大学。そして中退。
ここまでは、私と同じような道をたどったが、そのあとがちょっと違う。
エジプトに渡ってカイロ大学を卒業したらしい。
いっぽう私は、30歳を過ぎて夜間の専門学校へ。ここで2年間建築を勉強したが、あくまで実務を身につけるため。彼女のように、文学部を卒業なんて優雅なことはやっていられなかった。

優雅な転身も、運と才能があったればのことだろうが、私のような総合建設会社で下積みから始めた者にとっては、優雅な転身なんてものはまったく無用のもので場違いそのもの。
でも、かなり過酷な労働でも、国家資格を取ろうと毎年勉強ばかりしていたから、それなりに充実はしていたかな。

勉強の甲斐があって、建築の国家資格をふたつ取ったが、残念ながらふたつともただの紙切れになっている。
一枚の方の合格証の発行者は、郵政民営化で野党党首になったかつての大物政治家。しかもこの人、神主さん。しかし、どうも私には御利益がなかったようだ。

国家資格を取ろうと頑張っている人。くれぐれも私のようにならないよう気を付けて。
そんな心配いらない?・・・かもね。

一ヶ月以上前に買い求めた「霊操」と「キリスト者の自由」のうち、やっと「キリスト者の自由」を読み終えた。
最初は、イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」から読んでみたが、ちょっと私には難解すぎた。
で、途中まで読んで、ルターの「キリスト者の自由」に読み替えたが、こちらの方も少し難解な部分が多い。
原文がそうなっているのか、それとも訳文がそうなっているのか分からないが、ひとつの文章が長く、語彙も理解しにくいので一気に読み進めることができなかった。

「キリスト者の自由について」はわずか50ページ足らずの小論文になっているが、第一から第三十までじゅんじゅんと論を進める格好になっている。
まず、第一にルターはふたつの命題をかかげている。

キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。
キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する。
このふたつの命題をパウロの手紙によって確認し、最後の第三十で結論づけている。
以上の全体から次の結論が生ずる。曰く、キリスト教的な人間は自分自身においてではなくキリストと彼の隣人とにおいて、すなわちキリストにおいては信仰を通して、隣人においては愛を通して生活する。彼は信仰によって、高く己れを超えて神へと昇り、神から愛によって再び己れの下に降り、しかも常に神と神的な愛とのうちにとどまる。キリストがヨハネ伝福音書第一章に、「あなたがたは、天が開けて天使たちが人の子の上に昇り降りするのを見るであろう」と言われたのはそれである(一章五十一)。
見よ、これが、心をあらゆる罪と律法と戒めとから自由ならしめるところの、真の霊的なキリスト教的な自由であり、あたかも天が高く地を超えているように、高くあらゆる他の自由にまさっている自由なのである。神よ、われわれをしてこの自由を正しく理解し且つ保つことをえさせて下さい。アーメン。
以上の文章で「キリスト者の自由」は終わっている。
少し文章が難解だが、内容は現代の我々にとっては特別なものとも感じないし、とくに異を唱えるものでもない。
しかし、ルターの時代では、このような考えは画期的だったに違いない。
ルターによって初めてドイツ語聖書が翻訳されたが、それまでは一般のキリスト教徒にとって、自ら聖書を読むことはあり得ないことだった。教会で読まれる聖書よりは教義の方が優先されていたはずの時代だ。そして、翻訳されたドイツ語聖書はグーテンベルクの印刷機によって一般の人が聖書を読むことを可能にした。

でも、こうして現代、日本でもその気になれば聖書を読むことはできるけれども、いったいどのくらいの人が聖書を読んでいるのだろうか。
日本では、現在でもキリスト教徒は全人口の1パーセントにも満たない。隣の韓国では4人に一人がキリスト教徒なのにだ。

じつは、私にとって、この「キリスト者の自由」よりは、その次の「聖書への序言」のほうが得るところが多かった。まだ、読んでいる最中なので、詳しいことはまた別のところで書こうと思う。

しかし、あらためてこのような本を手にとってみると、自分自身の信仰が試されているような、おまえは間違っている、と言われているようで、逆に元気づけられるから不思議だ。

無償のStarSuite8

GoogleパックにStarSuite8が入ったので、さっそくインストールしてみた。
OpenOfficeの有償版だったので使い勝手はまったく同じはず。
以前は4,000円程度で売られていた。それでもマイクロソフトオフィスよりははるかに安かったが、今度はそれが無料になったというわけだ。

Googleパックは便利なのでいろいろ使わせてもらっているが、グーグルデスクトップとノートンセキュリティスキャンは使っていない。
でも、もしもこれをマイクロソフトが売り出したら、いったいいくらぐらいになるのだろうか。おそらく数万円?
しかし、グーグルはやるね。

ウィンドウズは未だに使っているが、インターネット・エクスプローラーは何年も前から使っていないし、アウトルック゛エクスプレスもほとんど使っていない。オフィス2000プロまではマイクロソフトだったが、これも今ではまったく使っていない。

今のところ、ウィンドウズ・ビスタも使う予定はまったくなし。ウィンドウズは3.1からXPまですべて使ってきたことを思うと、私の中では時代が変わってしまった感じだ。
ウィンドウズはこれからも無くならないだろうか、ウィンドウズ以外の選択肢はないという状態は変ってゆくにちがいない。

ところで、このStarSuite8の使い心地。
私が使うのはこのうちのカルクだが、OpenOfficeで作ったファイルをStarSuite8に関連づけると簡単に開くことができる。インターフェースもOpenOfficeとほとんど同じだ。

ただ、最初の起動時間が2分ちかくかかった。どうしてなのか分からないが、2回目からは1分くらいで起動する。
OpenOfficeもウィンドウズでは少し起動に時間がかかる。リナックスでは3~40秒で起動するが、ウィンドウズでは1分以上かかってしまう。カルクのデータが3シートあり、いちばん長いシートが1,300行を超えているので、多少時間がかかるのは分かるけれども、それにしても時間がかかりすぎる。

OpenOfficeカルクでの問題点はどうなってるのか気になったのでさっそく試してみた。
最新版のOpenOfficeにアップデートしたら一時的に直ったが、最近また頻発しだした、日本語変換ソフトJapanistを立ち上げたときのフリーズ現象。これがStarSuite8カルクを使うと不思議と起こらない。まだ、何日も使ったわけではないので、はっきりしたことは言えないが、今のところ問題はない。

それと、もう一点。セルの文字色や背景色を数行にわたって選択範囲を一気に変更すると行の高さまで変ってしまうしまう不思議な現象。これがStarSuite8カルクだとまったく問題がない。
リナックスではまったく問題がないのにウィンドウズでは変な現象がいくつか起こる。
OpenOfficeはウィンドウズでもリナックスでもOSに関係なく自由に使えるのが魅力のひとつだが、カルクに関しては残念なことにまったく同じ使用環境にはなっていない。

私はセルの数字の説明にコメントをよく書き込む。ところが、書き込んだコメントの表示位置がウィンドウズとリナックスではかなりのずれがある。ずれていても同じウィンドウズ内に表示されるのならまだ我慢できるが、ウィンドウをはみ出してしまうから始末が悪い。
この現象は、残念なことにStarSuite8でも変わらない。

無償で使えるStarSuite8のリナックス版はまだないが、体験版があるらしい。うまくインストールできたら使ってみようと思っている。
リコーのフォントが入っているらしいので゜、満足できるフォントの乏しいリナックスでは魅力的だ。

Fedora7のデスクトップから初めてのブロガー投稿。
使うソフトは「Post Blog Entry」。
FedoraCore6のときはうまくいかなかったが、今回、Fedora7にアップグレードしたので、少しは良くなったのかも。

ブロガーの設定は非常に簡単。もともとブロガーがリストに載っているのて、ユーザー名とパスワードを入力するだけでブログを自動的に探してくれる。あとは、タイトルと文章を入力するだけでいい。
だが、問題はきちんと残っていた。改行すると一行まるまる開いてしまう現象はそのまま。何でこうなるんだろう,まったく不思議。設定する項目がないので、自分で調節する方法もない。困ったものだ。
まるまる一行開けたくないので、改行タグを単語登録しておいて、改行と入力することで改行タグが挿入できるようにした。だがこの方法はちょっと面倒くさい。なにか別にいい方法がないかなと考え中。
このブログ投稿ソフトは非常にシンプルなので、文字修飾や引用部分を表示させることもできない。やはりタグを直に打ち込むしかないらしい。

もう一つの問題点。
それは、ラベルの指定が出来ないこと。画像を載せる機能もない。投稿した後にもう一度ロクインして編集をやり直さないと駄目のようだ。
こうなると、やはり問題点が多すぎ。
面倒でもブロガーにログインして書き込んだ方が正確だし、早いかもしれない。

ところで、Fedora7に標準装備されている親指シフト。標準設定で使っているが、この親指シフトもまだ完璧に調整できていない。
同時打鍵時間の調整もうまくいかない。きちんと同時打鍵しているのに直接打鍵の文字が表示されてしまうことがある。ちょっとこれにはイライラする。だいたい、ウィンドウズのジャパニストと同じ環境にはなったか、まだ、完全ではない。

オープンオフィスの使用勝手はウィンドウズよりもはるかにいい。と言ってもカルクしか使っていないが、Fedora7上で編集しても何の問題もない。ウィンドウズでは問題が多すぎる。
その件についてはまだ別の機会に投稿しようと思っている。

ウィンドウズでFirefoxを立ち上げてブログを見てみると、結局、Fedora7からの投稿は失敗だったようだ。暑さのため、我がマシーンがストライキ中だったのか、ウィンドウズでも最初、ネットに接続できない状態だった。ひとまず、マシーンを再起動。モデムも一度電源を落として再起動したらなんとか接続が復旧した。Fedora7で書いた文章はSDカードに保存しておいたので、あらためてウィンドウズで再投稿した。

今日は通院日

今日は5週に一度の内科外来。
というわけで、この猛暑のなか、自転車で病院まで片道30分、なんとか行ってきました。
一晩中、扇風機を回したまま寝たせいか、朝の目覚めから体調が悪く、鼻水が午後になっても止まらない。体温を計ってもとくに異常はないので、そのまま病院へ行くことにした。というよりも、インスリンの予備がまったくないので来週まで待つのは無理のよう。今日行くしかない。

病院内は思っていたよりも冷房が効いていないので、くしゃみ連発にはならずに済んだ。普通だったら暑いなあ、と思うくらいの温度だが、今日は逆にそれが幸いした。いちおう、マスクを持参したがそれも使わずに済んだ。
我が家でも、私はまだ冷房とは無縁の生活。どうも効きすぎていく冷房はたちまち体調悪化になってしまう。
で、今日の診察の結果。
前回の血液検査のHbA1cは6.4。これは前々回とまったく同じ数値。今度も目標値の6.5を切った。またまた優秀賞間違いなし。
が、主治医の先生、「ちょっと低すぎる」と前回のときと同じことを言う。「7パーセント前後がちょうどいいね」と。
先々月、6月の一カ月間の69以下の低血糖の回数は5回。だからそんなに低血糖を起したわけではないのでそれほど心配することでもないはず。
だが、先月一ヶ月の低血糖は12回。今月はまだ9日しか経っていないのに既に10回の低血糖を起している。今日発表されたの6.4のHbA1cは6月の血糖値によって出された数値。それほど低血糖を頻発したわけでもないのにHbA1cがこれだけ良い数値になるのだから、今日のHbA1cはもっと下がっている可能性は大。

私にも、最近どうしてこんなに血糖値が下がっているのか分からないが、この夏の暑さが関係しているのかもしれない。
そこで、主治医の提案。
まず、インスリン量を超速効型インスリンも超持効型インスリンも両方とも減らす。
超速効型インスリンは朝8、昼7、夕6として、今より3単位減らす。
次に超持効型インスリン。昼は8単位そのままにして、寝る前を6単位から5単位に減らす。
これで低血糖の頻発を防ぎ、HbA1cを7パーセント前後で落ち着かせるのが狙い。さあ、うまくいくかどうか。

もうひとつ、ヒューマログを今回中止していノボラピッドのみにした。
ヒューマログよりもノボラピッドの方が不快症状が弱く感じるのでそうしてもらったのだが、そんなはなし聞いたことないと主治医先生。
たしかにね、私も確信があるわけではないが、少しでも不快症状が改善されるのなら、それで良いと思っている。
だいたい、ヒューマログとノボラピッドを使い比べている人などそう多くはないはずだ。
ヒューマログはカートリッジ式が使える。しかし、この病院ではノボラピッドのカートリッジは扱っていない。使い捨てのみだ。

私は価格のこともあるが、使い捨てはどうしても好きになれない。
使い心地も、慣れてくるとカートリッジ式の方がはるかに良い。
今日も薬局でそのことを話したら、もし故障したときのことを考えると使い捨てのほうが安心できると説明してくれた。
しかし、カートリッジを同じ形状にして、注射器をいろいろなメーカーが作ればもっと信頼のできるものができるはず。故障のときのために予備の注射器を持ち歩けばいいだけのはなしだ。
注射器とカートリッジを一体型にして、価格を上げ、さらに使い終わったら全部ぽいと捨てる。なんともったいないことをするのだろう。

この病院でIDDM(一型糖尿病)の患者は何人いるのですか、と主治医に聞いてみた。主治医先生、常駐ではないので実際のところ分からないと言う。
一型糖尿病は二型に比べて発症者は非常に少ない。10万人に一人と言われているから、人口13万人の我が街では一人か二人くらいしかいないことになる。近隣の患者を含めてもそれほど多くはない。病院はいくつもあるから、ひとつの病院に一人なんてこともあり得る。実際、以前にも何回か同じ質問をしたが、結局分からずじまい。
だから、インスリンのことでとやかく言う患者などそんなにいるはずもない。だからといって、使い捨てを使いたくない患者にはカートリッジ式を処方してもいいと思うのだが、それもいまはだめのようだ。

今日の病院での点数は基本診療料が3200点、投薬料が201点、検査料722点、合計4123点で総支払額12,370円。総支払額10,000円以下にしようとの目論見は今のところ無理かな。
Technorati Profile

夏祭り

今頃になって、毎年恒例の夏祭りをやっている。いつもなら、7月中旬にやるはずのものが、今年は選挙があったからかどうかは分からないか、とにかく今日は付近も人出で騒々しい。

代々我が家は祭り大好き人間だったが、私はまったく祭りに興味がない。私の父も祭りになるとそわそわしだして、必ずといっていいくらい、一日に何回か祭りに出かけていた。
祖父は、父に比べてもさらに祭り大好き人間だった。大工の棟梁だったので、大工道具などを保管する倉庫用の蔵があって、その中に祭りの山車の部品が棚の上に並べてあった。祖父も祭りとなると人が変わったようにはしゃいでいたのをはっきりと覚えている。

私も子供のころは、祖父の影響もあって祭りに熱中したことがあったて、新しい祭り半纏を着せてもらうのが、なんともいい匂いがするので好きだった。でも、そんな気持も中学生にもなるとなくなってしまったようだ。
中学校は東京の台東区にあったので、三社祭になると神輿をかつぐという生徒が何人かいて、夢中になってはなしているのを、どこかおかしいのじゃないの、なんて感じで聞いていた。

我が家は駅から近いところにあるので、祭りになると家のまわりが交通規制になってしまう。私の仕事は車で出かけるのが常だったので、祭りになると、交通規制の警察官に事情を説明して通してもらわなければならない。そんなわけで、逆に面倒くさい行事にさえ思っていた。
仕事がら、土日に関係なく働いていたので、祭りになどかまっていられなかったからかもしれない。

でも、道行く人達はけっこう楽しそうだ。一年に一回の祭りを楽しみにしているのかもね。

今日は参議院議員選挙の期日前投票に行ってきた。明日行ってもよかったのだが、銀行へ行く予定があったので、ついでに投票もしてきただけのこと。以前の投票所の保育所は少し遠いところにあったが、今回の投票所は駅からすぐ近くの、けやきホールとか呼ばれる、出来たばかりのなんとも豪華な建物の中にある。銀行からも目と鼻の先だ。

午後はいつも体調が悪く、今日もちょっと目眩がしていたが、すぐ近くなので大丈夫だと自分に言い聞かせながら行ってきた。それも自転車で。
建物の中は冷房が効いているので涼しい。しかし、一階ホールのあの空間はいったいなんなのだろう。申し訳け程度に椅子(ベンチ)が置いてあって、涼しいからかそこのすべての椅子が占領されている。
ここは公共の施設なのだろうか、それともどこかの企業の建物?
はっきり言って、この玄関ホールのデザインは好きになれない。あまり行きたいとも思わない。中は冷たい雰囲気と冷たい風が吹いている。

投票は簡単なもので、当日投票と違っているのは誓約書みたいなものを書くことだけ。名前、住所、生年月日を記入して、当日投票できない理由のところに丸を付けるだけでいい。当日投票に行くよりも好きなときに行けるので、こちらのほうが気が楽でいい。
今回、味をしめたので、これからも期日前投票をする可能性は大きくなった。

投票を済ませたあと、銀行に行ったら、銀行はキャッシュコーナーのみあいていて、窓口の方は重いシャッターで閉じられている。
キャッシュコーナーには誰もいなくて私だけ。なんとも寂しい感じだが、ひとりだけカメラで見られていると思うとなんとなく気味が悪い。

まず、母名義のカードで現金を引き出そうとしたら、「このカードは使えません、窓口で引き出してください」の音声で機械が返事をしている。何回やっても同じなので、横にあった電話をかけてみた。
電話に出たのは男性で、どうもここの銀行員ではないらしい。はなしを聞いていると、どうやらこの人には解決する手段がないらしいことが分かってきた。
いま、どうしても現金が必要なのだからなんとかしたいと言っても、平日、つまり来週の月曜日に窓口で相談してみてくださいの一点張り。もう、はなしをしていてもなんとも情けない。
仕方がないので、ほんとうは母名義の口座から一万円を私の口座に入れるつもりで持って行った私のカードで2万円を引き出すことにした。

ところが、今度は私のカードの本人確認が出来ないとの表示が出る。ICカードなので、本人確認に指の静脈で認証する仕組みになっている。カードを作るときもなかなかうまくいたなくて、何回も何回も同じ作業を繰り返してやっとOKガ出た。その苦労して作ったカードで、いざ引き出そうとすると、こんどは認識できませんの繰り返し。いったいどうなってるんだ、この馬鹿機械と叫びたくなった。

隣の機械を見ると、そちらは以前の機械のようだ。静脈認証の指をのせる変なものが付いていない。
そちらでいつものようにカードを入れて暗証番号を打ち込み、結果を通帳に書きだしてもらおうと通帳も入れたら、通帳だけがはじき返されてくる。どうも通帳に書きだすのがだめのようだ。
しかし、2万円の現金だけは引き出すことが出来た。
これで、コンタクトレンズを作るにはちょっと金額が足りない。
あ~あ、来週まで待てということか。

この銀行からの撤退も、いま少し考えているところ。郵便局に変えようかと。でもね、長い間の付き合いだったからな。なにしろ、隣の市にある支店銀行の新築工事もやったことだし。

なんとも、寂しい気持が溢れてくる一日だった。

ウィンドウズ版オープンオフィスを最新のv2.2にバージョンアップしたら、日本語変換ソフト、Japanistとの相性も良くなったようで、オープンオフィス・カルクを使用中にJapanistを立ち上げるとフリーズ、という現象がなくなった。
というわけで、親指ひゅんQには退場してもらい、Japanistの復活です。

しかし、ちょっと苦言を・・・。
ウィンドウズ標準IMEでは、「おやゆびひゅんきゅう」の入力で、「親指ひゅんQ」と一発変換されたのに、Japanistては「親指ひゅんキュウ」となってしまい、「キュウ」の部分は英数字にモード変換してから「Q」と打ち直さないとだめのようです。
Japanistさん、もうちょっと頑張ってもらわないと、と言った感じでしょうか。
これはほんの一例だが、他にも変換能力でちょっと、といったところがあります。次のバージョンではぜひ改善を、と言いたいのだが。

そ れと、もし、新バージョンを出すならば、もう少し価格を抑えてもらえれば嬉しいが、どうなんだろう。リナックスでは無料だよ、とまでは言わないが、辞書が 付いているにしても5,000円を越えてしまうのはね。どうしても親指シフトを使いたいという物好き意外は買わないだろう、おそらく。
入力予測はできなくても、親指ひゅんQを使えばわざわざJapanistを買う必要もない。Japanistを使うときの敷居はけっこう高いのだ。

結局、親指シフトを使うこと自体、キーボードの件といい、専用ソフトの件といい、今のままでは、敷居の高さは壁のようにさえ感じるときがある。
もっと、安価な、しかも小ぶりで、打ちやすい専用キーボードがあれば、多少価格は高くても、迷うことなく買うだろうが、いまある機種は買う気も起きてこない。

ところで、いま使っているキーボードはバッファローのBKBU-J109LGという1,000円もしない安価なキーボード。これと同じ物を4個も持っている。そのうちいちばん打感のいい物を使っているのだが、どうもこれがいちばん自分に合っているようだ。

最近使ってみたのは、同じバッファローから発売されたBKBU-MCJ109Aという機種。パンタグラフ式キーボードで、キーボード専門店、ショップUでも親指シフトに最適な配列としてこのキーボードを推奨している。
しかし、、残念なことに私のPS2端子にコネクターを介して接続してもこのキーボードは動作しない。メーカーに問い合わせてみたら、理論上は可能だが、動作保証はしていないとのこと。残念なことに私のPCでは、USB接続ではブートローダーでのOS:選択ができない。BIOSを編集してもだめなので、諦めるしかない。

ウィンドウズ・ビスタに変える予定も今のところまったく未定で、限りなくゼロに近い。となると永久にお蔵入り?キーボードの出来もいま一歩の感じがする。キーの反応が一定でなく、パックスペースキーのようにちょっとさわっただけで動作するキーもあれば、エンターキーなどは底まで確実に打ち込んでも動作しなかったりする。まだ、馴染んでいないこともあるが、いま使っている安物のキーポードのほうがはるかに使いやすい。というより気持ちよく入力できるといった表現がぴったり。

しばらく前までは、テンキーのないキーボート、アーベルの薄型ミニキーボード、DPKM7UMTを使っていたが、最近、A4TECH・WWT-5というトラックボールを左手で使えるように訓練したおかげで、晴れてテンキー付きのバッファロー・BKBU-J109LGに戻したというわけ。もう半年以上この環境で使っているが、けっこう気に入っている。

このトラックボール・WWT-5は「クリオネ」という愛称で呼ばれてるようで、昔からファンの多い機種らしい。しかも値段が安い(1,500円程度)うえに、機能がしっかりとしている。スクロールボタンが左右に二個あって、片方は上下にスクロール、もう一方は左右にスクロールするという、まるでマイクロソフトのチルトスクロールを先取りしたような代物。

左右に飛び出たボタンは「クリオネの羽」と呼ばれていて、これも慣れると非常にいい感じだ。ケンジントンのトラックボール、オービットよりもはるかに使いやすい。スクロールボタンが付いているので当然かも知れないが・・・。
しかも、オービットの青いボールがぴったりとこのクリオネに合う。もともと付いていた赤いボールをオービットの青いボールと入れ替えて使っているが、調子は非常にいい。

クリオネトラックボールと安物キーボートで親指シフトというのが今の私の入力環境。だが、これがいまお気に入りの組み合わせになっているので、まだまだ、このままの環境が続きそう予感がする。

Fedora7


遅ればせながらFedora7にバージョンアップした。
相変わらず、デュアルブートでのインストールは緊張する。重要ファイルのバックアップはとってあっても、ウィンドウズそのものが削除されやしないか、終了して再起動させるまての緊張感はちょっと気分のいいものではない。

インターフェースデザインはウィンドウズXPより好感が持てるし、同じリナックスのUbuntuよりもすっきりしていて気持ちがいい。
FedorCore6よりデザインの印象も良くなった。ま、私の独断と偏見もあるけれど。

親指シフトの設定も問題ない。ウィンドウズのジャパニストを使っているときとほとんど同じ感覚で打てる。右手小指がバックスペースに無理なく届くので入力が非常に楽。
ただし、ちょっと工夫が必要になる。
まず、下のコードをのエディターで作成。
keycode 48 = BackSpace asterisk kana_KE
keycode 211 = colon underscore
.これを .Xmodmap の名前でhomeディレクトリにファイルを作成する。
次に、端末で $ xmodmap ~/.Xmodmap を実行すれば完了。
次回、起動したときに、このファイルを読込みますか?のダイアログがでたら、読込むに設定すればOK。

オープンオフィスもバージョンが2.2となり、私の使っているウィンドウズ版よりも新しくなった。
ただ、カルクに関しては、セルにコメントをつけた場合、WindowsXPととFedora7とではコメントの表示位置が大きくずれてしまい、画面からはみ出してしまう。
バージョンが新しくなっても、残念なことにこの現象は直っていない。
とは言っても、同じファイルをウィンドウズとリナックスのどちらででも編集できるのだから素晴らしいと言うしかない。エクセルもリナックスで編集できればいいのに。これは、永久に無理かな。

デュアルブートにした場合、ブートローダーはリナックス優先になっている。しかも、あっという間にリナックスが立ち上がってしまうので、少し調整を加えている。
つまり、grub.conf  を書き換えることでウィンドウズを優先で立ち上げたり、表示時間を変更したり、表示画面を止めたりすることが出来る。書き換えの方法は下記の通り。
端末を起動して su と入力してルートに移動する。
次に、# gedit /boot/grub/grub.conf を実行。
grub.conf  のテキストが表示されるので、順番を入れ替えたり、タイムアウトの時間を調整してファイルを書き換える。
あとは書き換えたファイルを保存して、端末を終了させれば次回起動したとき、書き換えたとおりにブートローダーが表示される。
ただ、カーネルをアップデートすると最新のカーネルが優先に戻ってしまうので、また書き換えなければならない。これが、ちょっと面倒。

OpenOfficeとJapanist

オープンオフィスと日本語変換ソフトのジャパニストとは相性が悪いのではないのか?最近、ちょっとそんな風に思っている。

オープンオフィスの調子がこのところ良くない。
オープンオフィスといっても表計算のカルクしか使っていないが、日本語を入力するとフリーズ、この症状がこのところ頻繁に発生している。半角英数字を入力している分には問題ないが、日本語変換ソフトのジャパニストを立ち上げると同時に、矢印カーソルがビジーカーソルに変わったままうんともすんとも言わない。
そのうちエラーのダイアログが表示されて、「エラー報告を送信しない」のボタンをクリックすると、オープンオフィス・カルクはシャットダウン。保存していない場合はそれまでの作業がふいになってしまう。

リナックスのフェドーラ・コアでは問題ないけれども、ウィンドウズXPではだめ。
オープンオフィスのリナックスのバージョンは2.0、一方のウィンドウズは2.1を使っている。ウィンドウズの方がバージョンは新しい。
ファイルをSDカードに保存するようにしているので、ウィンドウズ、リナックスどちらのカルクでも編集することはいちおう可能。
そういうことで、いまは、リナックスでカルクを使うようにしているが、日記ソフトで日記を書くときにはウィンドウズを立ち上げなければならない。そんなときはカルクも一緒に立ち上げて同時処理することにしている。そして、日本語変換ソフトを立ち上げるとフリーズということになる。

オープンオフィスのカルクに問題ありと考え、エラー報告を送信したこともあるが、英文メールで返事が来ただけで改善される見込みは分からない。といっても、何か手を打っているかもしれないが。

このままじゃらちが明かない。
まず、日本語変換ソフトの交代。ジャパニストをマイクロソフト標準IMEに代えてみた。もちろん、親指シフトはそのまま使いたいので、エミュレータソフトの親指ひゅんQをインストール。設定がちょっと面倒だったけれどもなんとか使えるようになった。
そして、カルクを起動してIMEをオン。
すると、何事もなかったように、日本語がスムーズに入力できるではないか。
どうも、ジャパニストとオープンオフィス・カルクとの相性が怪しい。

もう少し使ってみないと、結論をだすのは早計だが、今のところ、ジャパニストとカルクとの間に問題がある可能性は大きい。
ただね、ジャパニストをお蔵入りにしているのは仕方がないが、入力予測機能が使えなくなったのが痛い。これが、使えるか使えないかで入力スピードにかなりの影響がでている。

台風が来ているというのに、食料切れ、猫たちの餌切れで、雨の中を自転車で買い出しを強行。さすがに自転車に乗っているひとは少ない。
10年前に買ったゴルフのレインスーツで身を固め、いちおう完璧のスタイル。しかし、レインスーツの性能は抜群でも、やはり古さが身に沁みるように雨も沁みてくる。30分も走っていると、なんとなく内側がじとっとしてきた。まさに、不快指数120パーセントの買い出しだったけれど、無事帰還。

昨夜は、2週間ぶりの「春のワルツ」に再会。
連続ドラマが途中で途切れると、それでなくてもストーリーがよくわからないのに、過去の場面が忘れがちになってくる。しかも、ドラマの展開がゆっくりしすぎで、ちょっとじれったい。とは言っても、けっこう面白い。

主人公チェハとウニョンの関係、お互いいつ分かるのか?
それともチェハの方は気付いている? どうも、そうではないらしい。
昨日もまた、なにか新しい展開を予告して終わってしまった。
あの人は誰?
これが、どういう結果になるのか。意外以上のことになるとの予感も。

偶然が二度重なると運命と感じるそうだが、このドラマも偶然が多い。
オーストリアでチェハとウニョンが列車で同席、しかも、ウニョンが向かったコンサートがチェハのピアノコンサート。無理な設定とは言わないが、普通ではあり得ない。しかも、この二人が子供時代、兄弟同然に生活していたわけだから・・・。

私は運命論者ではないので、こういうのを摂理と考えるけれども、確率的に無限小でも、そういうことがないと面白くないのかも。

激しくなると思っていた台風。ここ、千葉県ではたいしたこともなく通りすぎて行ったようだ。私の部屋の窓から一階の窓に垂れ下がっているランケープルをはずさずに済んでしまった。

注文してあった、プリンターの詰め替えインクが昨日までに届かない。あれあれ、どうする。おそらく今日中には配達されてくるのだろうけど、もう間に合わん。
しかたなく、コンピューターの数字をひとつひとつノートに書き写したら、指がかったるくなってしまった。こんなに根気を詰めて字を書くことなんか最近滅多にない。疲れた。おかげでもう3時をとっくに過ぎている。はやく病院に行かないと。

病院には予約の午後4時ちょうどに到着。でも、そんなに混んでもいないのにけっこう待たされる。
出掛けに、なにか本を持っていかないとと本棚を物色して選んだのが、曽野綾子著の「誰のために愛するか」。なにこれ、いつこんな本を買った? 副題に「すべてを賭けて生きる才覚」とある。ちょっと面白そうなので持ってゆくことにした。曽野綾子氏はカトリックのクリスチャン。おそらく、そんな関係で私の若いころに買ったのだろう。
だが、どうしてこの本を選ぶ。カトリックに改宗しろということ? じゃないだろう、まさか。
その本を50ページくらい読み終えたら、私の名前を呼んでいる。眼鏡をはずしたり本をバッグにしまったりしてもたもたしてしまい、少し遅れて診察室に入っていった。

さっそく主治医、「前回のHbA1cはいいですよ」と。HbA1cは6.4だという。今までの最高が6.5だから0.1下がっての新記録。
「優秀ですね」と私が言うと、先生、「ちょっと優秀すぎる」だと。「7パーセントちょい弱ぐらいがいいな」とおっしゃる。なんてことを言う。
たしかにね、低血糖を頻発させてHbA1cを下げるより、低血糖を少なくしした方がいいのかもしれない。

診察終了際に、前回の検査結果について質問。
「甲状腺の検査で、結果の欄に+となっているが、これはなんですか?」
「別に問題ないですよ」
「でも+と言うことは陽性ということですか?」と、さらに突っ込みを入れる。
「そう、陽性だけれど、別に問題ないですよ」
私が、納得できないといった顔をしていたら、「要するに橋本病ということです」と白状した。
前にも、別の病院の眼科で「橋本病と診断されたことはないですか?」と質問されたことがあったので、別に驚くことではない。またか、と思っただけ。しかし、またひとつ病名が増えた。これも免疫異常からくる疾患。IDDM(1型糖尿病)を含め、私の4つの病気はなんのことはない、みんな免疫異常疾患ということ。

先月処方してもらった超速効型インスリンはヒューマログのみ。不快症状が激しすぎたので、今月はノボラピッドを処方してもらった。ヒューマログのメーカーではそんな報告ありませんと言ってるらしいのだが・・・。前回のヒューマログがまだ2本残っているので、双方を代わる代わる使って、不快症状がどのように変わるか、丁寧に観測してみようという目論見。不快症状を訴えているのは私だけではないと思うのだけどね。

かりに変化がないのなら、それはそれでよし、もしも、ラピッドを使ったときの方が不快症状が弱かったら、それはフューマログが原因になる。
今までの経験だとフューマログが原因とする考えは間違っていないと思う。あとは他のひとで同じ症状を訴えていないかどうかということだ。

前々回の外来のとき、薬局の薬剤師から、回収扱いになった古いランタスの注射器具を返却するように申し渡されていたが、前回それを持って行くのを忘れていたら、薬剤師も忘れていたようで、そのことには触れず仕舞い。今日、また同じことを蒸し返されるかとおどおどしていたら、今日もそれについて何も言わない。で、返すのをやめてしまおうかと思っているわけ。故障したときの予備にちょうどいいのではないかと。それに、使い心地は、古い回収指定になった注射器具のほうがいいときている。新しく渡された方がかえって使いにくいとはいったいどうなっている。
新しい方もリコール対象になったりしてね。信用できんよ、このメーカーは。

途中食料の買い出しをして、夕方遅く帰宅すると、郵便ポストにペリカン便の不在連絡表が入っていた。ちょっと遅いんだよね。
すぐに不在連絡表の電話番号に電話すると、あと10分で届けますとの返事。
急いで現金と印鑑を準備して待っていても、どうしたんだろう、一向に来る気配がない。
途中でなにかあったのかな、なんてことを考えながら玄関先で待っていたら、外にいた猫たちが2匹集まってきた。私のまわりでじゃれついている。
そこへ車が一台我が家の前に止まった。思っていたよりちっちゃな車だ。
運転手が「すいません、すいません」と入ってきた。
低姿勢で謝られたら、怒る気も起きてこない。替えインクだけにしてはずい分大きな段ボールだ。アマゾンから買うといつもこんな感じ。

防衛大臣の失言?

防衛大臣が柏市内の大学で講演したときの発言がなんか、えらいことになっている。
この大学、学内に小さなゴルフのミニコースがあって、私もここでプレーしたかったが、簡単にはできないらしく断られ、諦めたことがある。

日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。

 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。

 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

防衛大臣の認識というのはこんなものなのかなと思う。これが本音なのだろうか?
ソ連に北海道を占領されるくらいなら、原爆を落とされて無数のひとが悲惨な目にあっても、ソ連の占領前に戦争が終わったのだから、「しょうがないな」と、この人は思っているらしい。
暗にソ連の参戦を持ち出して、いったい誰を擁護しているのだろう。言うまでもない、アメリカだ。そうとしか考えられない。今まで、アメリカをちくちくと刺激していたのに気兼ねしたのだろうか。

アメリカは、トルーマン大統領は、いったいなぜ、なんの理由があって、このような世界に類を見ない非人間的な、神をも畏れない愚かなことをしたのか。何十年も、アメリカからその答えを、私に理解できるようにかたちで聞いたことがない。
必ず出てくる言葉が、真珠湾攻撃を仕掛けたのはおまえら日本ではないか、ジャップめ。
だが、まるでソドムとゴモラのように広島と長崎を壊滅させるといった復讐の権利がだれにあると言うのか。ドイツのホロコーストを強く非難するのに、どうして原爆が容認されるのか。まるで理解できない。しかも、爆撃機のエノラゲイを展示までして、誇りにさえ思っているようだ。

アメリカの国民の中にも、原爆投下に心を痛めているひとがいることはわかっている。でも、なぜ、被害にあった日本人が、「しょうがないな」で済ましてしまうのだろう。
防衛大臣は、それほどまでに心の広いひとなのか。
そんなことはない、被害者の気持を逆撫でしているとしか思えない。

パソコンを買うと、一緒に購買を勧められるのがプリンター。でも、実際に家庭で使うのにプリンターが必要なものなのか。
デジカメを持っていれば、すぐにプリントをしたくなるが、何回もやっているうちに必ず飽きてくる。それよりも用紙代とインク代で四苦八苦するようになる。
もともと、コンピューターがあるのになぜ紙に印刷しなければならないのか。
ただ、これは家庭でのはなしで、もちろん、仕事ではプリンターとファックスがなければ仕事にならない。でも、これからは紙を使わない方向にどんどん進んでいくはずだ。

そんなわけで、私は家庭でプリンターを使うことを5年前にやめてしまった。
しかし、去年どうしても必要になって、6,000円ちょいの安いプリンターを買ってみた。安いといっても、機能は豊富で、とても6,000円とは思えない代物。ただ、使っているのは一ヶ月に一度だけ。

血 糖測定表をパソコンの表計算ソフトで作り、病院へ行く前に、小さな血糖管理ノートに書き写していたのを、直接大きな用紙に印刷してそれを主治医に手渡そう という考え。以前、データをフロッピーに入れて持って行ったら、使えるコンピューターが無いという。隣の事務員の使っているコンピューターもだめなんです か、と聞いたら、それもだめらしい。

小さなノートには書き写せないほど膨大な表になっていて、表計算の各セルにコメントも入れているの で、印刷しても全部が表示されるわけではないが、小さな専用ノートとは比較にならないほど、いろいろな情報が書いてあって主治医にはけっこう評判がいい。 本当だったら、こんなことは病院側が、血糖測定器の会社の作った専用ソフトでやればいいことだが、残念ながら、まだそのような体制にはなっていない。これ からもその予定はないそうだ。測定器製造会社の営業マンにそのソフトの値段を聞いたら5,000円だと。アホらしッ。オープンオフィスだったらただで済 む。
で、しかたなく私が個人的にコンピューターで作っているというわけ。

あと3日で、その病院への通院日。そろそろ印刷の準備をしなければならないと思い、プリンターを見てみると、小さな赤い警告ランプが点いている。
液晶表示部に、なにか文字が表示されているので読んでみると、どうもシアンのインクが無くなっているらしい。
さて、困った。その機種はひとつのインクが空になると印刷不可能になってしまう。

さっそくアマゾンや価格コムで替えインクを調べてみた。すぐに見つかったが、単品で約一個1,000円。インクセットだとなんと4,000円以上する。一色が無くなっているということはすぐに他のインクも無くなるに違いない。セットで買うしかないか。
インクが付いて6,000円台で買えたプリンターが、インクだけを買うと4,000円以上するとは、いったいどういう価格設定になっているのだろう。
これを、ぷリンター商法と呼ぶらしい。馬鹿なはなしだがインクを買わないわけにはいかない。

調べてみると、替えインクではなく、詰め替えインクもあるらしい。これもアマゾンで見つけた。価格は少し安くなり、しかも何回か使えると書いてある。
さっそく注文。代引き手数料込みで約2,700円。この方がはるかにお得だ。メールがすぐ届いてたので確認。
なにっ、ただいま発送準備中。到着が病院通院日になっている。

さ~て、間に合わなかったらどうしようか。
それよりも、半年前に買ったプリンターが、わずか20枚くらい印刷しただけでインク切れになってしまったことのショックのほうが大きい。まさか、こんなに早くインクが無くなるとは考えもしなかった。
使ってもいないのに、かちゃかちゃなにかやっていたと思っていたら、ノズルの掃除でせっせとインクを使っていたらしい。なんてこった。

おっとっと、なにっ。
Spring Waltz has gone away,

いくらなんでもNHKさん、例のテーマソングが聞こえるかと思ったら、これから宮沢元総理の追悼番組を・・・。
まさか、春のワルツの時間帯を狙い撃ちにするとは。
日曜日の「風林火山」を延期すれば?
それでは、反感が計り知れないので・・・。
だったら、そのあとのNHKアーカイブスなんとかがあるじゃないか。
・・・・・・。

衛星放送の契約、ここのところまったく見ていないから解約するかな。せっかく、このブログで宣伝してやったのに。
だって、こんなブログ、誰も見てないじゃないですか。
それも、そうだけど・・・。


なんと2週間の延期らしい。
おいおい、毎週の連続ドラマが半月ドラマになってしまった。

しかたない、YOU TUBEのビデオでもみて我慢か。
ついでに手当たり次第、アドレスを貼っておくか。

http://www.youtube.com/watch?v=h0TCwSz2aKY&mode=
http://www.youtube.com/watch?v=vPkZhIjf610&eurl=
http://www.youtube.com/watch?v=ZdFrgEvSjp4&mode=
http://www.youtube.com/watch?v=If4Z2J8nISw&mode=
http://www.youtube.com/watch?v=KIldJ5agfYA&mode=
http://www.youtube.com/watch?v=0vkDNqYhFbI&mode=
http://www.youtube.com/watch?v=woQ0CXA6PUw&mode=
http://www.youtube.com/watch?v=5CT4d1ww_bU&mode=

Now, I know
Your heart for me is a pained heart
You said you couldn't love with it
Even though it is covered in scars...
Couldn't you show it for me?
Your pain has already turned into my tears
I waited only for you
Even though one day was given to us
I prepared everything for you in happiness
I love you, should I go to you?
Even though we're far apart
You and I will dream on wish's wings

You probably wouldn't know
I couldn't sleep
You, who protected me...
Even when I'm asleep
So thank you
I couldn't open my eyes...
Because all the tears that I remembered might return
I waited only for you
Even though one day was given to us
I prepared everything fou you in happiness
I love you, should I go to you?
Even though we're far apart,
You and I will dream on wish's wings
I miss you even when I see you,
I love you
1話、2話、3話あたりの繋がりがよく分からなくて(ながら見がよくない?)、普通だったらそのへんで見続けるのをやめてしまうのが、なんとなく続きが気になって、ついに今日も見てしまう?

惹かれる理由が自分でもよくわからないが、過去と現在を行ったり来たりして、なにか意外な展開が隠されているのでは、と謎めいたところがいいのかも。
それと音楽。これがいちばんの理由かもしれない。竹内まりやと雰囲気の似ているメロディ。いいね。

チェハ?
死んだはずの子供に代わって人生を引き継ぐ・・・。そして、有能なピアニストに。あり得ないはなしではないが、ちょっと飛躍した感じもする。しかもチェハの成功は新しい両親によるところが大きい。にもかかわらず、自分の気持もだませない。葛藤があのような行動になるというわけか。
ウニョンの気取りのない性格がまたいい。こんな女の子だったら嫌いになる方がおかしい。でも、最初のころは彼女がヒロインになるとは、考えもしなかった。
フィリップについては、何とも言えない。こんないい奴いるのかいな、と言った感じ。もしいたら、失礼。
しかし、なぜ、ウニョンに振られるのか、ふしぎ以外なにもない。でも、彼は影の主役かな。

結局、ハッピーエンドで終わるのだろうが、このような恋愛経験がない自分としては、悲劇的な終章で終わって欲しい・・・。
それはありえない、だよな。
冬のソナタなど、NHKの韓国ドラマにまったく関心がなかったのにいったいこれはどうしたことなのか?
ま、食わず嫌いだったのかもしれない。

サイドバーのグーグルビデオに「Spring Waltz」でリンクを貼っておいたので、少し待てば見られるかも。
待ちきれないときは、下のアドレスへ。(テーマ曲に英語の字幕入り)
http://www.youtube.com/
韓国語がチンプンカンプンなので、これで少し分かったような気がする。
英語版歌詞はいちばん上のとおり。間違いがあるかもしれないが、お許しを・・・。
「春のワルツ」(NHK総合11:10PM)土曜日放映中

今日のグーグルニュースにフリーター・ニート依然高水準、の見出しが載っている。フリーターとニート合わせて249万人だとか。すごい数字だね。

とか言って、私自身も、昔、フリーター・ニートの経験があるので人ごとではない。
私の場合は、大学を一年で中退し、それ以来、約5年ニートを続けてしまった。このニートから抜け出すのは容易なことではなかった。

こんなこと、過ぎたことだから書けるけれど、現在進行形のひとにとっては書くことさえ辛いことだろう。

この顛末は、その気になったら書こうかと思う。なにしろ、両親はもとより友人などにも話していないことだから、書きづらいッたらありゃしない。

いたずら猫め

毎週水曜日は介護ヘルパーさんが来る日。
もちろん、母のヘルパーさんだが、掃除をしてもらうにもいろいろ面倒くさい条件があるらしい。
まず家族の共用部分は除外。母専用で使う部屋しか掃除ができないとか。
いま現在、専用で使っているのは、二階の母の自室と一階の居間。居間が母専用と言うのもおかしなはなしだが、私はほとんど使っていない。
私としては、掃除にわざわざ来てもらうこともないので一度は断ったが、他にヘルパーさんに頼むことがない。とりあえず掃除でもするかということになって、週に一回来てもらっている。

病院への付き添いも最初のころは介護保険を使っていたが、最近、それができなくなり、自費になるという。
自費というのは、穏やかなはなしではない。いちおう断っておいた。

二階の母の部屋の掃除は、母自身がかたくなに拒否しているのでヘルパーさんの出る幕はない。とは言っても、いつも母が自分でやるかというと、そうでもない。ときどきやっているといった状態。
でも、他人に掃除されるのはいやなのだからしかたがない。
介護ヘルパーさん、気を利かせて雨戸を開けて外気を入れ、廊下側のドアを開け放して帰ってしまった。

我が家の猫どもが、普段は入れない部屋のドアが開いているのを見て黙っていられるはずがない。部屋の中へ入ってあちらこちらを物色。ついに押し入れの開き戸を開けてしまい、中に入っていたずらをしている。私に見つけられた猫ども、知らん顔していたずらを続けていたが、私に追い散らされて一目散に階下へ逃げて行く。なんとすばしこい動きをする猫ども。

しかし、この騒がしい猫たちだが、今では猫のいない生活など考えようもない。
あっちこっち、ぼろぼろにするけれども、可愛さに免じて赦してやる。

パウロの混乱

昨日のNHK教育テレビで「パウロの手紙を読む」を見た。
喜怒哀楽の副題が付いたテーマで、パウロのコリント後書が使われている。
講師の牧師が参考として、太宰治の「パウロの混乱」という文章を読みあげた。
この文章は以前、私も読んだことがあるが、太宰治の感性が普通ではないな、とそのとき強く感じたのを今でもはっきりと覚えている。
太宰治が聖書を読み込んでいたらしいことは、この小説を読むとはっきりと分かってくる。
退廃的な人生と思われている一方で、深くそれに向き合っていたことが、かえって虚しさ訴えているようだ。

そうして、おしまいには、群集に、ごめんなさい、ごめんなさいと、あやまっている。まるで、滅茶苦茶である。このコリント後書は、神学者たちにとって、最も難解なものとせられている様であるが、私たちには、何だか、一ばんよくわかるような気がする。高揚と卑屈の、あの美しい混乱である。他の本(ほん)で読んだのだが、パウロは、当時のキリスト党から、ひどい個人攻撃を受けたそうである。
パウロのこの手紙を「高揚と卑屈の、あの美しい混乱」とまで書いている。

私も常に思っているのだが、パウロほど不思議な使徒はいないのではないか。
キリスト教徒を迫害するバリバリのユダヤ教徒であり、ついにはダマスコまでキリスト教徒を捕らえるため追いかけて行く。
そして、ダマスコへの途中、まばゆい光の中にイエスキリストの声を聞く。一瞬にして目が見えなくなり、3日後に「目から鱗のようなもの」が落ちて、また目が見えるようになる。
そして、すぐに洗礼を受け、一転して福音を伝える伝道者になる。いったい何があったのだろうか。
パウロの回心、として有名な箇所だが、決定的なことが起きたとしか考えられない。

パウロほど後世の信徒に影響を与えている使徒はいないだろう。私ももちろん強く影響を受けたひとりだ。

太宰治の桜桃忌

心中自殺した太宰治が玉川上水で発見された日、6月19日。そして太宰治本人の誕生日だ。桜桃忌と言われている。
その、ちょうど一ヶ月後、7月19日にわたしが生まれた。

そういうわけで、なぜか親近感はあるけれども、彼の退廃的な自殺未遂常習者の生き方には、共感するものはなにも持ち合わせていないし、わたしが生きてきた様ともまったく異なっている。

今では、彼の小説は青空文庫で読むことができる。本を買いに出かけたり、図書館へ行く必要もない。その青空文庫で、以前、人間失格を読んでみた。
読んでいて気が付いたのだが、最初の数ページは、なんとなく、しかしおぼろげにだが、読んだ覚えがある。ところが、後半部分になるとまったく記憶の片隅にも残っていない。というより、読んでいないのだと思う。すこし読んではみたが、途中で読むのを止めてしまったにちがいない。若いころの私には、そんなに面白くなかったとしても無理はない。

あらためて読んでみると、この小説は他人の日記を元に書いたことになっているが、本人の自伝ではないのかと思えてくる。

この小説にも神がちらっと出てくるが、使徒パウロやイスカリオテのユダのことを書いた短編も読んでみるとおもしろい。
とくに、ユダの気持で書いた短編は、太宰治の心を反映しているのか、ちょっと不気味ささえ感じる。
キリスト教に関心が少なからずあったのだろう。自分で使っている聖書を、「手垢のついた」と言っているほどで、相当、読み込んでいたことが想像される。しかし、どうして入信しなかったのか。もしも、キリストを信じていれば、自殺からはもう少し距離をおけたのではないか。

だが、単純にそうとは言えない面もある。
ダンテの神曲では、地獄は9圏の段階に分けられている。第9圏が最も重い罪とされていて、自殺は自己に対する暴力の罪で第7圏。
当時のカトリックも自殺は重罪と教えていて、もしも、自殺未遂者が捕らえられると過酷な刑罰が待っていた。
太宰治も、そのくらいのことは承知していたにちがいない。

けれど・・・。
聖書には、自殺がどのような罪になるのかには触れていない。

自殺者のはなしは2~3ある。
先ほどのイスカリオテのユダの自殺。これはマタイの福音書に書いてあることで、使徒行伝には自殺とはなっていない。
もうひとり、サムエル記に出てくる、イスラエル初代の王、サウルが自殺したと書いてある。だが、この場合は戦いのなかでのはなしで、単純に自殺とは言えないかもしれない。

日本では、細川ガラシャ夫人が自殺はできないと、家来に命じて自分を殺害させたはなしが有名だが、サウル王の場合も似たような状況で起こった。ペリシテ(パレスチナの由来)との戦いで負傷したサウル王は、家来に自分を殺すように命令する。しかし、家来してみれば、とてもそんなことはできないということで、命令に応じない。ついにサウル王は、敵に辱めを受けるくらいならと、自分の剣の上に身を伏せて自害してしまう。
神によって選ばれた王が、最後は神に捨てられてしまうのだから・・・。まさに、悲劇の王だ。

さらにもうひとり。有名なダビデ王の息子、アブシャロムの反乱のときに自殺者が出ている。名前は思い出せないが、かつてダビデの側近だった高官だ。アブシャロム側についたが、自分の意見が入れられず、反乱が失敗にしたと判断したのか、結局、自殺してしまった。
この人は、ソロモン王の母、パテシェバの祖父にあたり、ダビデ王の不義が発覚したときダビデ王に対して怒ったと聖書に書かれている。

注文してあった、耳で聞く英語聖書「World English Bible in MP3」がやっと届いた。
送りました、とのメールが届いてから約一週間、手違いがあったのかと心配したが、無事に届いてホッとしている。

さっそく聞いてみたが、はっきりした英語で、わたしでも思ったよりも聞き取りができそうだ。でも、いまさらの英語力不足はどうしようもない。もっと英語をしっかり勉強しておけばよかったと、ちょっぴり後悔。
上智大学に通っていたころ、英語の訓練を受けたが、僅か1年でやめてしまった。つまり中退。後悔先に立たず、そのものかもしれない。

中身はCDが2枚の簡単なものだが、これで創世記からヨハネの黙示録まで旧約、新約全部が入っているのだからすごいとしか言いようがない。
ただ、テキストがスタンダード版と少し違うようだ。わたしの持っている英語聖書は30年前に買ったスタンダード版のHOLY BIBLE。最新版とは違うのかもしれない。
HTMLのテキストも入っているので、ブラウザを立ち上げれば聖書の本文を読むことも可能。World English Bibleという、WEB用につくったもののようだ。

気になる価格は、本体が15ドル25セント、荷造りと送料合わせて3ドル5セント、合計18ドル30セント。
ただ、封筒にFIRST-CLASS MAIL INTERNATIONALと表示されていて、その上に3ドル60セントと印字されてある。送料?
結局、総額がいくらになっているのかははっきりしないが、いずれにしても日本円で2,000円台で済むはずだ。
同じような商品が、アマゾンでは10,000円を超えていることを考えると、こちらは非常に安価。
WEBからダウンロードもできる。ちょっと面倒だが、こちらは無料。

さて英語版リビングバイブルにするか、それともこちらのWorld English Bibleにするか、ちょっと迷っているけれども、とりあえず両方ともやってみるか。

森の避難小屋
どうしてなのかわからないが、ブロガーにログインできない。グーグルアカウントを使用してくださいの表示がでて先に進まない。
しかたなく、この文章はFirefoxのBlogThisで投稿している。こちらはいつものIDとパスワードでログインできた。

なにか、しばらく使わないでいたら、いろいろと変わってしまったようだ。前回投稿したときは、コメントの文字が表示されない状態に・・・。コメントはほとんどないので、別にかまわないのだが、どうにも気持が悪いものだ。設定が変更されていないか調べたけれども、変更もされていないようだ。

とにかく、よくわからないことばかり。

「自然に手を動かして頭に浮かんだ言葉をそのまま記録できれば、思考を妨げられることなく文章をつづることができます」

まるで、親指シフト入力のすすめのようですが、これは単なるタッチタイピングのすすめで、昨日、19日の朝日新聞に載ったもの。

記事ではローマ字入力の説明のみで、なぜか、かな入力には触れていない。それだけ、かな入力を使用するユーザーが少ないということなのかも。キーボードにはJISかな配列がせっかく刻印されているのにどうして使われないのだろうか。
コンピューターを使って20年の私でさえ、JISかな配列を一度も使ったことがないのだから、分からないこともないけれども。

記事では、QWERTY配列は過去のタイプライターのころの遺物で、とくに打ちやすさを考えていないと、いちおう書いてはある。改良されたDVORAK配列も図解入りで説明してあるが、実際、この配列を使う人がどれだけいるのだろうか。この配列のキーボードを使おうとしても、親指シフトキーボード以上の困難が立ちはだかっているかもしれない。おそらく、探すだけで疲れてしまうだろうね。

私にとっては、「親指シフトでタッチタイピング」というのが命ですから、当然、ローマ字入力を小馬鹿にしているわけです。
コンピューターは気持ちよく使えればどんな入力方法を使おうが本人の自由。ローマ字入力を使うべき、なんてことを勧めるわけしりの御方の説には、ほとんど馬耳東風です。
とは言っても、どうしてもローマ字入力を使わなければならないことがあるのです。悔しいけれども・・・。

今使っている電子辞書、あまりの便利さに製本された辞書はまったく使わなくなってしまった。その気になれば聖書さえ読みこむことができるからおそろしい。
これがローマ字配列なのだから嫌になる。50音配列もあるらしいが、機種が少ない。ほとんどがQWERTY配列になっている。
でも、ローマ字入力もこの電子辞書のように片手で打ち込むにはすこぶる具合がいい。ただ、打ち込みに時間がかかるけれども・・・。両手を使う親指シフトではこの片手打ちはまねができない。
この電子辞書をけっこう頻繁に使っていると、「コンピューターのキーもローマ字入力にしたほうがいいよ」と悪魔が、優しく、しかも言い含めるような口調でささやいてくる。
冗談じゃねえ、と啖呵は切ってみたものの、誘惑にちょっぴり負けて、あの小馬鹿にしていたローマ字入力に変えて打ってみたりするのです。

しかし・・・、やっぱりだめだ。キーボードから目を離して打っていると、自然と親指シフト入力になっている。
ところが、キーボードのローマ字を、鷹が上空から獲物を狙うように一心不乱で見つめていると、不思議とスムーズに、しかも、意外と早く打てたりする。
だが、はっきり言って疲れる。そのうえ、ちょっとでもキーから目を離すと親指シフトに戻ってしまうから面白い。
親指シフト入力用の神経が図太くなってしまって、ローマ字入力を受け付けなくなってしまったためなのか。
なにしろ、親指シフトで打っていると、頭の中は文章を考えていればいいだけ。指は自然と動いてくれる。

やっぱりブログ投稿ツールで投稿すると改行がおかしいようです。エンターで改行すると、どうしても一行あいて次の文章が始まる。この空いた一行を削除することもできない。

もうひとつ別のソフトを見つけたので、いまそのツールでこの文章を書いている。ただ、先のツールに比べると投稿先の設定などちょっとわかりにくそうだ。
さらに、なんとタイトルに文字が入力できないではないか。いったいどうなっているのだろう。
アカウントの設定するにしてもすべて英語。日本語だったらもっと理解が早いのに、残念。

母の日

今日は母の日。
しかし、今まで、わたしは母の日のプレゼントをあげた記憶がほとんどない。
20代の頃からプロテスタント教会に行っていて、この日は母の日礼拝と呼んでいた。母へのプレゼントとして、礼拝後カーネーションの花を一本手渡された。
けれど、いつもそれを自宅の母に届けたかと聞かれると、ちょっと怪しい。いつもいつも持ち帰っていなかったような気がする。
母もカーネーションを貰って嬉しいとは思わなかったようだ。意味が分からなかったかもしれない。

母の日に買物をしてプレゼントをしたような記憶も少し残っている。でも、あくまで、したような・・・にすぎない。母に確認してもいいが、いまさら照れくさいことだ。

昨日まで元気だった「みお」の孫猫が今日死んでしまった。
朝起きたら、箱の外に出ていて死んでいる。おそらく親猫が外に出したのだろう。ときどき、一生懸命親猫が身体を舐めまわしているが、死んだ子猫はぴくりと もしない。それでも諦めきれないのか、それとも死んでしまったことが分からないのか、まったく動かなくなった子猫のまわりをうろうろしている。
そのうち、まったく近づくこともなくなるだろう。目を離しているときに庭に埋めてやるしかない。

それにしても、昨日はあんなに元気だったのに、と、あっという間の出来事にちょっとショックを受けた。
この子猫は、わたしが昨日抱き上げたときはすごく元気で、テーブルの上に乗せたも激しく啼いていた。
親猫が近づいてきて、しばらく様子を見ていたが、そのうちくわえて箱の中に連れて行ってしまった。このとき身体に傷でも付けたのだろうか。
こんな小さな猫でも、死んでしまうとなんか寂しい。

WindowsIMEとJapanist

聖書に出てくる単語をタイプしていると、ときどきおかしな変換結果になる。
わたしが普段使っている日本語変換ソフトJapanistは、このへんとくに不得手のようだ。

WindowsIMEで打ち出すと、結果は下のようになる。

申命記
出エジプト記
列王記
詩篇
箴言
雅歌

きちんと変換されている。
しかし、これがJapanistだと次のような結果に。

新明記
シュツエジプトキ
列王基
詩篇
箴言
画家

なんとも面白い変換結果になってしまった。残念ながらJapanistでは、申命記、出エジプト記、列王記、雅歌が一発で出てくることはなかった。これらの単語は面倒くさいけれども単語登録しておくしかない。
しかし、一度打ち込んだ単語は入力予測文字として出てくるので、windows標準IMEよりもその点に関してはjapanistのほうが便利。

でも、やっぱり、一発で変換できるに越したことはないけれどもね。

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