もうすぐ9月

天気予報では涼しくなるようなことを言っていたけれども、今日も暑い一日。
でも、そろそろ涼しくなってくるのだろうか。毎日水風呂に入っていたけれど、それももう終わりに近い。

昨日は阿部内閣改造でテレビもラジオも特別番組一色だったが、どうも私には興味がわいてこないので、実感もないし、ピンとこないことばかり。
いっそのこと、民主党にバトンタッチして、自民党は野に下った方が日本のためにはいいと思うのだがね。ず~っと同じ政党が政権を握っているのは良いはずがない。あっちこっちが腐ってきているのに、掃除することも、治すこともできないでいる。
政権政党が変わると、おそらく出てくるだろうね、さまざまな闇のなかだった悪しきものが。

ところで小池百合子前防衛大臣はどうしちゃったんだろう。あんなに張り切ってライス国務長官と仲よくしたり、気の合っていることをアピールしていたのに。そして、急に私は内閣に残りません?
官房長官が去るのだから、おまえも去れ、とでも言われた?

高校時代はテニス部に所属。そして、大学は関西学院大学。そして中退。
ここまでは、私と同じような道をたどったが、そのあとがちょっと違う。
エジプトに渡ってカイロ大学を卒業したらしい。
いっぽう私は、30歳を過ぎて夜間の専門学校へ。ここで2年間建築を勉強したが、あくまで実務を身につけるため。彼女のように、文学部を卒業なんて優雅なことはやっていられなかった。

優雅な転身も、運と才能があったればのことだろうが、私のような総合建設会社で下積みから始めた者にとっては、優雅な転身なんてものはまったく無用のもので場違いそのもの。
でも、かなり過酷な労働でも、国家資格を取ろうと毎年勉強ばかりしていたから、それなりに充実はしていたかな。

勉強の甲斐があって、建築の国家資格をふたつ取ったが、残念ながらふたつともただの紙切れになっている。
一枚の方の合格証の発行者は、郵政民営化で野党党首になったかつての大物政治家。しかもこの人、神主さん。しかし、どうも私には御利益がなかったようだ。

国家資格を取ろうと頑張っている人。くれぐれも私のようにならないよう気を付けて。
そんな心配いらない?・・・かもね。

一ヶ月以上前に買い求めた「霊操」と「キリスト者の自由」のうち、やっと「キリスト者の自由」を読み終えた。
最初は、イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」から読んでみたが、ちょっと私には難解すぎた。
で、途中まで読んで、ルターの「キリスト者の自由」に読み替えたが、こちらの方も少し難解な部分が多い。
原文がそうなっているのか、それとも訳文がそうなっているのか分からないが、ひとつの文章が長く、語彙も理解しにくいので一気に読み進めることができなかった。

「キリスト者の自由について」はわずか50ページ足らずの小論文になっているが、第一から第三十までじゅんじゅんと論を進める格好になっている。
まず、第一にルターはふたつの命題をかかげている。

キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。
キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する。
このふたつの命題をパウロの手紙によって確認し、最後の第三十で結論づけている。
以上の全体から次の結論が生ずる。曰く、キリスト教的な人間は自分自身においてではなくキリストと彼の隣人とにおいて、すなわちキリストにおいては信仰を通して、隣人においては愛を通して生活する。彼は信仰によって、高く己れを超えて神へと昇り、神から愛によって再び己れの下に降り、しかも常に神と神的な愛とのうちにとどまる。キリストがヨハネ伝福音書第一章に、「あなたがたは、天が開けて天使たちが人の子の上に昇り降りするのを見るであろう」と言われたのはそれである(一章五十一)。
見よ、これが、心をあらゆる罪と律法と戒めとから自由ならしめるところの、真の霊的なキリスト教的な自由であり、あたかも天が高く地を超えているように、高くあらゆる他の自由にまさっている自由なのである。神よ、われわれをしてこの自由を正しく理解し且つ保つことをえさせて下さい。アーメン。
以上の文章で「キリスト者の自由」は終わっている。
少し文章が難解だが、内容は現代の我々にとっては特別なものとも感じないし、とくに異を唱えるものでもない。
しかし、ルターの時代では、このような考えは画期的だったに違いない。
ルターによって初めてドイツ語聖書が翻訳されたが、それまでは一般のキリスト教徒にとって、自ら聖書を読むことはあり得ないことだった。教会で読まれる聖書よりは教義の方が優先されていたはずの時代だ。そして、翻訳されたドイツ語聖書はグーテンベルクの印刷機によって一般の人が聖書を読むことを可能にした。

でも、こうして現代、日本でもその気になれば聖書を読むことはできるけれども、いったいどのくらいの人が聖書を読んでいるのだろうか。
日本では、現在でもキリスト教徒は全人口の1パーセントにも満たない。隣の韓国では4人に一人がキリスト教徒なのにだ。

じつは、私にとって、この「キリスト者の自由」よりは、その次の「聖書への序言」のほうが得るところが多かった。まだ、読んでいる最中なので、詳しいことはまた別のところで書こうと思う。

しかし、あらためてこのような本を手にとってみると、自分自身の信仰が試されているような、おまえは間違っている、と言われているようで、逆に元気づけられるから不思議だ。

無償のStarSuite8

GoogleパックにStarSuite8が入ったので、さっそくインストールしてみた。
OpenOfficeの有償版だったので使い勝手はまったく同じはず。
以前は4,000円程度で売られていた。それでもマイクロソフトオフィスよりははるかに安かったが、今度はそれが無料になったというわけだ。

Googleパックは便利なのでいろいろ使わせてもらっているが、グーグルデスクトップとノートンセキュリティスキャンは使っていない。
でも、もしもこれをマイクロソフトが売り出したら、いったいいくらぐらいになるのだろうか。おそらく数万円?
しかし、グーグルはやるね。

ウィンドウズは未だに使っているが、インターネット・エクスプローラーは何年も前から使っていないし、アウトルック゛エクスプレスもほとんど使っていない。オフィス2000プロまではマイクロソフトだったが、これも今ではまったく使っていない。

今のところ、ウィンドウズ・ビスタも使う予定はまったくなし。ウィンドウズは3.1からXPまですべて使ってきたことを思うと、私の中では時代が変わってしまった感じだ。
ウィンドウズはこれからも無くならないだろうか、ウィンドウズ以外の選択肢はないという状態は変ってゆくにちがいない。

ところで、このStarSuite8の使い心地。
私が使うのはこのうちのカルクだが、OpenOfficeで作ったファイルをStarSuite8に関連づけると簡単に開くことができる。インターフェースもOpenOfficeとほとんど同じだ。

ただ、最初の起動時間が2分ちかくかかった。どうしてなのか分からないが、2回目からは1分くらいで起動する。
OpenOfficeもウィンドウズでは少し起動に時間がかかる。リナックスでは3~40秒で起動するが、ウィンドウズでは1分以上かかってしまう。カルクのデータが3シートあり、いちばん長いシートが1,300行を超えているので、多少時間がかかるのは分かるけれども、それにしても時間がかかりすぎる。

OpenOfficeカルクでの問題点はどうなってるのか気になったのでさっそく試してみた。
最新版のOpenOfficeにアップデートしたら一時的に直ったが、最近また頻発しだした、日本語変換ソフトJapanistを立ち上げたときのフリーズ現象。これがStarSuite8カルクを使うと不思議と起こらない。まだ、何日も使ったわけではないので、はっきりしたことは言えないが、今のところ問題はない。

それと、もう一点。セルの文字色や背景色を数行にわたって選択範囲を一気に変更すると行の高さまで変ってしまうしまう不思議な現象。これがStarSuite8カルクだとまったく問題がない。
リナックスではまったく問題がないのにウィンドウズでは変な現象がいくつか起こる。
OpenOfficeはウィンドウズでもリナックスでもOSに関係なく自由に使えるのが魅力のひとつだが、カルクに関しては残念なことにまったく同じ使用環境にはなっていない。

私はセルの数字の説明にコメントをよく書き込む。ところが、書き込んだコメントの表示位置がウィンドウズとリナックスではかなりのずれがある。ずれていても同じウィンドウズ内に表示されるのならまだ我慢できるが、ウィンドウをはみ出してしまうから始末が悪い。
この現象は、残念なことにStarSuite8でも変わらない。

無償で使えるStarSuite8のリナックス版はまだないが、体験版があるらしい。うまくインストールできたら使ってみようと思っている。
リコーのフォントが入っているらしいので゜、満足できるフォントの乏しいリナックスでは魅力的だ。

Fedora7のデスクトップから初めてのブロガー投稿。
使うソフトは「Post Blog Entry」。
FedoraCore6のときはうまくいかなかったが、今回、Fedora7にアップグレードしたので、少しは良くなったのかも。

ブロガーの設定は非常に簡単。もともとブロガーがリストに載っているのて、ユーザー名とパスワードを入力するだけでブログを自動的に探してくれる。あとは、タイトルと文章を入力するだけでいい。
だが、問題はきちんと残っていた。改行すると一行まるまる開いてしまう現象はそのまま。何でこうなるんだろう,まったく不思議。設定する項目がないので、自分で調節する方法もない。困ったものだ。
まるまる一行開けたくないので、改行タグを単語登録しておいて、改行と入力することで改行タグが挿入できるようにした。だがこの方法はちょっと面倒くさい。なにか別にいい方法がないかなと考え中。
このブログ投稿ソフトは非常にシンプルなので、文字修飾や引用部分を表示させることもできない。やはりタグを直に打ち込むしかないらしい。

もう一つの問題点。
それは、ラベルの指定が出来ないこと。画像を載せる機能もない。投稿した後にもう一度ロクインして編集をやり直さないと駄目のようだ。
こうなると、やはり問題点が多すぎ。
面倒でもブロガーにログインして書き込んだ方が正確だし、早いかもしれない。

ところで、Fedora7に標準装備されている親指シフト。標準設定で使っているが、この親指シフトもまだ完璧に調整できていない。
同時打鍵時間の調整もうまくいかない。きちんと同時打鍵しているのに直接打鍵の文字が表示されてしまうことがある。ちょっとこれにはイライラする。だいたい、ウィンドウズのジャパニストと同じ環境にはなったか、まだ、完全ではない。

オープンオフィスの使用勝手はウィンドウズよりもはるかにいい。と言ってもカルクしか使っていないが、Fedora7上で編集しても何の問題もない。ウィンドウズでは問題が多すぎる。
その件についてはまだ別の機会に投稿しようと思っている。

ウィンドウズでFirefoxを立ち上げてブログを見てみると、結局、Fedora7からの投稿は失敗だったようだ。暑さのため、我がマシーンがストライキ中だったのか、ウィンドウズでも最初、ネットに接続できない状態だった。ひとまず、マシーンを再起動。モデムも一度電源を落として再起動したらなんとか接続が復旧した。Fedora7で書いた文章はSDカードに保存しておいたので、あらためてウィンドウズで再投稿した。

今日は通院日

今日は5週に一度の内科外来。
というわけで、この猛暑のなか、自転車で病院まで片道30分、なんとか行ってきました。
一晩中、扇風機を回したまま寝たせいか、朝の目覚めから体調が悪く、鼻水が午後になっても止まらない。体温を計ってもとくに異常はないので、そのまま病院へ行くことにした。というよりも、インスリンの予備がまったくないので来週まで待つのは無理のよう。今日行くしかない。

病院内は思っていたよりも冷房が効いていないので、くしゃみ連発にはならずに済んだ。普通だったら暑いなあ、と思うくらいの温度だが、今日は逆にそれが幸いした。いちおう、マスクを持参したがそれも使わずに済んだ。
我が家でも、私はまだ冷房とは無縁の生活。どうも効きすぎていく冷房はたちまち体調悪化になってしまう。
で、今日の診察の結果。
前回の血液検査のHbA1cは6.4。これは前々回とまったく同じ数値。今度も目標値の6.5を切った。またまた優秀賞間違いなし。
が、主治医の先生、「ちょっと低すぎる」と前回のときと同じことを言う。「7パーセント前後がちょうどいいね」と。
先々月、6月の一カ月間の69以下の低血糖の回数は5回。だからそんなに低血糖を起したわけではないのでそれほど心配することでもないはず。
だが、先月一ヶ月の低血糖は12回。今月はまだ9日しか経っていないのに既に10回の低血糖を起している。今日発表されたの6.4のHbA1cは6月の血糖値によって出された数値。それほど低血糖を頻発したわけでもないのにHbA1cがこれだけ良い数値になるのだから、今日のHbA1cはもっと下がっている可能性は大。

私にも、最近どうしてこんなに血糖値が下がっているのか分からないが、この夏の暑さが関係しているのかもしれない。
そこで、主治医の提案。
まず、インスリン量を超速効型インスリンも超持効型インスリンも両方とも減らす。
超速効型インスリンは朝8、昼7、夕6として、今より3単位減らす。
次に超持効型インスリン。昼は8単位そのままにして、寝る前を6単位から5単位に減らす。
これで低血糖の頻発を防ぎ、HbA1cを7パーセント前後で落ち着かせるのが狙い。さあ、うまくいくかどうか。

もうひとつ、ヒューマログを今回中止していノボラピッドのみにした。
ヒューマログよりもノボラピッドの方が不快症状が弱く感じるのでそうしてもらったのだが、そんなはなし聞いたことないと主治医先生。
たしかにね、私も確信があるわけではないが、少しでも不快症状が改善されるのなら、それで良いと思っている。
だいたい、ヒューマログとノボラピッドを使い比べている人などそう多くはないはずだ。
ヒューマログはカートリッジ式が使える。しかし、この病院ではノボラピッドのカートリッジは扱っていない。使い捨てのみだ。

私は価格のこともあるが、使い捨てはどうしても好きになれない。
使い心地も、慣れてくるとカートリッジ式の方がはるかに良い。
今日も薬局でそのことを話したら、もし故障したときのことを考えると使い捨てのほうが安心できると説明してくれた。
しかし、カートリッジを同じ形状にして、注射器をいろいろなメーカーが作ればもっと信頼のできるものができるはず。故障のときのために予備の注射器を持ち歩けばいいだけのはなしだ。
注射器とカートリッジを一体型にして、価格を上げ、さらに使い終わったら全部ぽいと捨てる。なんともったいないことをするのだろう。

この病院でIDDM(一型糖尿病)の患者は何人いるのですか、と主治医に聞いてみた。主治医先生、常駐ではないので実際のところ分からないと言う。
一型糖尿病は二型に比べて発症者は非常に少ない。10万人に一人と言われているから、人口13万人の我が街では一人か二人くらいしかいないことになる。近隣の患者を含めてもそれほど多くはない。病院はいくつもあるから、ひとつの病院に一人なんてこともあり得る。実際、以前にも何回か同じ質問をしたが、結局分からずじまい。
だから、インスリンのことでとやかく言う患者などそんなにいるはずもない。だからといって、使い捨てを使いたくない患者にはカートリッジ式を処方してもいいと思うのだが、それもいまはだめのようだ。

今日の病院での点数は基本診療料が3200点、投薬料が201点、検査料722点、合計4123点で総支払額12,370円。総支払額10,000円以下にしようとの目論見は今のところ無理かな。
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夏祭り

今頃になって、毎年恒例の夏祭りをやっている。いつもなら、7月中旬にやるはずのものが、今年は選挙があったからかどうかは分からないか、とにかく今日は付近も人出で騒々しい。

代々我が家は祭り大好き人間だったが、私はまったく祭りに興味がない。私の父も祭りになるとそわそわしだして、必ずといっていいくらい、一日に何回か祭りに出かけていた。
祖父は、父に比べてもさらに祭り大好き人間だった。大工の棟梁だったので、大工道具などを保管する倉庫用の蔵があって、その中に祭りの山車の部品が棚の上に並べてあった。祖父も祭りとなると人が変わったようにはしゃいでいたのをはっきりと覚えている。

私も子供のころは、祖父の影響もあって祭りに熱中したことがあったて、新しい祭り半纏を着せてもらうのが、なんともいい匂いがするので好きだった。でも、そんな気持も中学生にもなるとなくなってしまったようだ。
中学校は東京の台東区にあったので、三社祭になると神輿をかつぐという生徒が何人かいて、夢中になってはなしているのを、どこかおかしいのじゃないの、なんて感じで聞いていた。

我が家は駅から近いところにあるので、祭りになると家のまわりが交通規制になってしまう。私の仕事は車で出かけるのが常だったので、祭りになると、交通規制の警察官に事情を説明して通してもらわなければならない。そんなわけで、逆に面倒くさい行事にさえ思っていた。
仕事がら、土日に関係なく働いていたので、祭りになどかまっていられなかったからかもしれない。

でも、道行く人達はけっこう楽しそうだ。一年に一回の祭りを楽しみにしているのかもね。

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