グランドキャニオンからの帰り道は再び退屈な時間の連続。マイクロバスの日本人青年の運転は少し荒っぽい。砂漠の中を一直線で突っ切る道路は果てしなく続いていて、意識なくスピード感が無くなってくるのだろう。前方に車があると必ず追い越して行く。片側二車線の道路だったらなんの心配もない。だが、ここは片側一車線。
対向車が迫ってきているのに、この運転手何を考えたか追い越しをかけた。同乗しているみなが、「ぶつかるっ」と思った。だが、運転手は何事もなかった表情のまま。
彼にとっては、毎回毎回この道を運転していると、なんでもないことなのかもしれない。でも、冷や汗はかいたに違いない、きっと。

ラスベガスに近づいてきたころ、雨も降っていないのに山裾から虹がかかっている。
運転手、道路脇に車を止めて、小休止を兼ねた虹見物だと。
前回の旅行のときもメキシコからの帰り道が海岸線沿いを延々と続いていた。
アメリカはでかい、それが印象の第一。

甥っ子も言っていたが、アメリカの印象はあまりよくなかったようだ。
カナダからアメリカに入るとどうしてもそういう感覚が出てくるのかもしれない。しかも、アメリカのそれもラスベガスだ。ホテルの一階がギャンブル場になっていて、その中を通らないと階上の部屋には行けない。カナダのあの静かなたたずまいの。高級なホテルに比べるとその違いは歴然。
しかし、ホテルだけの問題ではないようだ。カナダの方に人の温かみを感じたらしい。

ラスベガスでは食事はホテルのレストランで食べた。だが、カナダではホテルの近くのレストランに必ず出かけて食べていた。そのレストランがこじんまりしているが雰囲気のいいところで、ウェイトレスの態度もすごく感じがいい。
こんなちょっとしたことで、国の雰囲気まで変ってしまうのかもしれない。
甥っ子は、カナダに住んでみたい、だってさ。


このグランドキャニオンへは今回で二回目。
だが、前回と今回とでは私にとって、大きく様変わりしたことがひとつ。
旅行中、と言っても旅行していないときもだが、インスリンを常時携帯して、注射し続けなければ命がなくなる、ということ。
命がなくなるとは穏やかでないが、じつは正直、そういうことだ。

前回利用した航空会社は大韓航空。座席は満席でなく、空席も多く残っていたので横になって寝ることができた。おまけにスチュアーデス(今はそう呼ばない?)は韓国美人、機内食が待ち遠しかったほど、快適な空の旅だった。
ノースウェスト航空を使った今回の旅は、残念ながらそうではなかった。座席は満席、空席はまったくない。そして、いちばん煩わしいのが機内食だったとは。

10時間も飛行機に乗って飛んでいると、普通でも体調が悪くなるが、インスリンを打ち続けている身体は以前よりも少し弱っていた。やはり体調悪化は以前より大きい。
そして、予告なく出てくる機内食。これがいちばんの強敵。

ファーストクラスやビジネスクラスのゆったりとした座席ならまだいいのだろうが、エコノミーの狭い座席でのインスリン注射は苦痛をともなう。
人前でインスリンを注射することに抵抗感はない。相手が気分を悪くしないかな、とは思うが、自分では恥ずかしいとは考えていない。だが、別室があれば必ずそちらで注射をするようにしている。なにも注射をしているところをわざわざ見せる必要もない。

機内食が予告なく出てくると書いたけれども、正直、ふいをつかれるといった感じで突然やってくる。遠くの方で配っているのが確認できればまだ余裕はある。トイレにでも行って注射すればいい。しかし、目を覚まして、気が付いたら機内食がテーブルに置かれていたなんてことも当たり前のようにある。そんなときは仕方がない、食後の注射という手でその場をしのぐ。だが、中途半端な時間のときはどうする?

私はそそくさと注射器を取り出し、ゴソゴソさせながらすばやく注射をした。しかし、隣で寝ていると思ってきた年配の黒人夫人がそれをしっかりとみていた。その顔は、一気に不快感のあらわれた表情に変わったのがはっきりと分かる。
彼女は、自分の方にかかっていた毛布を私の方にはねのけて、不快感を態度に出して、まるで抗議しているかのようだ。
麻薬でも注射していると思ったのだろうか。

旅行に出る前、私の主治医がインスリン携帯の証明書を作ってくれた。税関検査のときインスリン器具が麻薬と間違われると大変なことになると言うのだ。
私が、「そんなこと大丈夫ですよ」と言うと、主治医は、英語で正確にきちんと説明できますかと言って私を説得した。
その証明書をその夫人に見せてしまおうかとも考えた。でも、やめておいた。
単に気分を害しただけのことだ、騒ぎ立てているわけではない。

税関ではインスリン注射器具がチェックされたことは一度もない。手荷物バッグの中にデジカメ用の一脚が入っていて、それがレントゲンを通してみると小型の拳銃のように見える。これがどこの空港でも引っ掛かってしまい、バッグの中身を確認してもいいですかと係員の質問が迫ってきた。そのとき、インスリン注射の器具一式を見ているはずだが、とくに確認することはなかった。

インスリン注射をしているから同情してもらいたいとか、大目に見て欲しいとか、そんなことは考えたこともない。ただ、普通の人と同じに扱ってほしいだけのこと。
隣の夫人はさぞびっくりしたのだろうが、私が貧弱な英語で説明した方がよかったのかどうか。かえって火に油を注ぐ結果になっていたかもしれない。


写真では何度も見た風景。アメリカが誇る、そして世界を代表する素晴らしい景観が目の前にあった。
ふしぎな世界だ。想像もできないような深い谷、そして切り立った絶壁、さらに、空の青さが素晴らしい。剃刀の刃で一気にえぐり取ったような、赤味がかった絶壁の色とのコントラストが、素晴らしいを通り越して、畏れさえ心に迫ってきた。人間のちっぽけさを虚しく感じさせるほどの迫力だ。

この同じ場所には以前にも立ったことがある。前回はロスから小型ジェットで飛んできた。今回はラスベガスから、何時間も飽きるほどアリゾナ砂漠を眺めながら、やってきた。
やはり前回の強烈な印象に比べると、今回は落ち着きがあるのか、あのときの高揚感はない。
落ち着いた気持で、穏やかに見ていると、また違った風景に見えるから不思議だ。しかし、何度来ても見飽きることはない。それほどに素晴らしい風景。

できることなら、もう何日かここに滞在すれば良かったのだが、残念ながら今回も日帰り。翌日には日本へ帰らなければならない。
ここへは、ナイアガラに2日滞在したあと、トロントからデトロイト、そしてラスベガスとアメリカの国内線の飛行機を乗り継いでやってきた。さすがに国内線となると日本人に会うことはなかった。

前回の旅行は、ある銀行の新築工事のときに、JV(共同企業体)を組んだ会社の社員と工事終了を労って二人でやってきた。
彼は英語が喋れないし無理だと言っていたが、なんとかなるからと説得したら意気投合、はるばる海を超えてやってきたというわけだ。
彼は海外旅行は初めてだと言っていたが、この景色を見て、感動を隠せないでいた。

ロスからメキシコに行ったとき、ちょっとした失敗事件があった。今では笑い種になっているはなしだだから、書いてもいいだろうか。しかし、彼は嫌がるだろうな、たぶん。

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