Now, I know
Your heart for me is a pained heart
You said you couldn't love with it
Even though it is covered in scars...
Couldn't you show it for me?
Your pain has already turned into my tears
I waited only for you
Even though one day was given to us
I prepared everything for you in happiness
I love you, should I go to you?
Even though we're far apart
You and I will dream on wish's wings

You probably wouldn't know
I couldn't sleep
You, who protected me...
Even when I'm asleep
So thank you
I couldn't open my eyes...
Because all the tears that I remembered might return
I waited only for you
Even though one day was given to us
I prepared everything fou you in happiness
I love you, should I go to you?
Even though we're far apart,
You and I will dream on wish's wings
I miss you even when I see you,
I love you
1話、2話、3話あたりの繋がりがよく分からなくて(ながら見がよくない?)、普通だったらそのへんで見続けるのをやめてしまうのが、なんとなく続きが気になって、ついに今日も見てしまう?

惹かれる理由が自分でもよくわからないが、過去と現在を行ったり来たりして、なにか意外な展開が隠されているのでは、と謎めいたところがいいのかも。
それと音楽。これがいちばんの理由かもしれない。竹内まりやと雰囲気の似ているメロディ。いいね。

チェハ?
死んだはずの子供に代わって人生を引き継ぐ・・・。そして、有能なピアニストに。あり得ないはなしではないが、ちょっと飛躍した感じもする。しかもチェハの成功は新しい両親によるところが大きい。にもかかわらず、自分の気持もだませない。葛藤があのような行動になるというわけか。
ウニョンの気取りのない性格がまたいい。こんな女の子だったら嫌いになる方がおかしい。でも、最初のころは彼女がヒロインになるとは、考えもしなかった。
フィリップについては、何とも言えない。こんないい奴いるのかいな、と言った感じ。もしいたら、失礼。
しかし、なぜ、ウニョンに振られるのか、ふしぎ以外なにもない。でも、彼は影の主役かな。

結局、ハッピーエンドで終わるのだろうが、このような恋愛経験がない自分としては、悲劇的な終章で終わって欲しい・・・。
それはありえない、だよな。
冬のソナタなど、NHKの韓国ドラマにまったく関心がなかったのにいったいこれはどうしたことなのか?
ま、食わず嫌いだったのかもしれない。

サイドバーのグーグルビデオに「Spring Waltz」でリンクを貼っておいたので、少し待てば見られるかも。
待ちきれないときは、下のアドレスへ。(テーマ曲に英語の字幕入り)
http://www.youtube.com/
韓国語がチンプンカンプンなので、これで少し分かったような気がする。
英語版歌詞はいちばん上のとおり。間違いがあるかもしれないが、お許しを・・・。
「春のワルツ」(NHK総合11:10PM)土曜日放映中

今日のグーグルニュースにフリーター・ニート依然高水準、の見出しが載っている。フリーターとニート合わせて249万人だとか。すごい数字だね。

とか言って、私自身も、昔、フリーター・ニートの経験があるので人ごとではない。
私の場合は、大学を一年で中退し、それ以来、約5年ニートを続けてしまった。このニートから抜け出すのは容易なことではなかった。

こんなこと、過ぎたことだから書けるけれど、現在進行形のひとにとっては書くことさえ辛いことだろう。

この顛末は、その気になったら書こうかと思う。なにしろ、両親はもとより友人などにも話していないことだから、書きづらいッたらありゃしない。

いたずら猫め

毎週水曜日は介護ヘルパーさんが来る日。
もちろん、母のヘルパーさんだが、掃除をしてもらうにもいろいろ面倒くさい条件があるらしい。
まず家族の共用部分は除外。母専用で使う部屋しか掃除ができないとか。
いま現在、専用で使っているのは、二階の母の自室と一階の居間。居間が母専用と言うのもおかしなはなしだが、私はほとんど使っていない。
私としては、掃除にわざわざ来てもらうこともないので一度は断ったが、他にヘルパーさんに頼むことがない。とりあえず掃除でもするかということになって、週に一回来てもらっている。

病院への付き添いも最初のころは介護保険を使っていたが、最近、それができなくなり、自費になるという。
自費というのは、穏やかなはなしではない。いちおう断っておいた。

二階の母の部屋の掃除は、母自身がかたくなに拒否しているのでヘルパーさんの出る幕はない。とは言っても、いつも母が自分でやるかというと、そうでもない。ときどきやっているといった状態。
でも、他人に掃除されるのはいやなのだからしかたがない。
介護ヘルパーさん、気を利かせて雨戸を開けて外気を入れ、廊下側のドアを開け放して帰ってしまった。

我が家の猫どもが、普段は入れない部屋のドアが開いているのを見て黙っていられるはずがない。部屋の中へ入ってあちらこちらを物色。ついに押し入れの開き戸を開けてしまい、中に入っていたずらをしている。私に見つけられた猫ども、知らん顔していたずらを続けていたが、私に追い散らされて一目散に階下へ逃げて行く。なんとすばしこい動きをする猫ども。

しかし、この騒がしい猫たちだが、今では猫のいない生活など考えようもない。
あっちこっち、ぼろぼろにするけれども、可愛さに免じて赦してやる。

パウロの混乱

昨日のNHK教育テレビで「パウロの手紙を読む」を見た。
喜怒哀楽の副題が付いたテーマで、パウロのコリント後書が使われている。
講師の牧師が参考として、太宰治の「パウロの混乱」という文章を読みあげた。
この文章は以前、私も読んだことがあるが、太宰治の感性が普通ではないな、とそのとき強く感じたのを今でもはっきりと覚えている。
太宰治が聖書を読み込んでいたらしいことは、この小説を読むとはっきりと分かってくる。
退廃的な人生と思われている一方で、深くそれに向き合っていたことが、かえって虚しさ訴えているようだ。

そうして、おしまいには、群集に、ごめんなさい、ごめんなさいと、あやまっている。まるで、滅茶苦茶である。このコリント後書は、神学者たちにとって、最も難解なものとせられている様であるが、私たちには、何だか、一ばんよくわかるような気がする。高揚と卑屈の、あの美しい混乱である。他の本(ほん)で読んだのだが、パウロは、当時のキリスト党から、ひどい個人攻撃を受けたそうである。
パウロのこの手紙を「高揚と卑屈の、あの美しい混乱」とまで書いている。

私も常に思っているのだが、パウロほど不思議な使徒はいないのではないか。
キリスト教徒を迫害するバリバリのユダヤ教徒であり、ついにはダマスコまでキリスト教徒を捕らえるため追いかけて行く。
そして、ダマスコへの途中、まばゆい光の中にイエスキリストの声を聞く。一瞬にして目が見えなくなり、3日後に「目から鱗のようなもの」が落ちて、また目が見えるようになる。
そして、すぐに洗礼を受け、一転して福音を伝える伝道者になる。いったい何があったのだろうか。
パウロの回心、として有名な箇所だが、決定的なことが起きたとしか考えられない。

パウロほど後世の信徒に影響を与えている使徒はいないだろう。私ももちろん強く影響を受けたひとりだ。

太宰治の桜桃忌

心中自殺した太宰治が玉川上水で発見された日、6月19日。そして太宰治本人の誕生日だ。桜桃忌と言われている。
その、ちょうど一ヶ月後、7月19日にわたしが生まれた。

そういうわけで、なぜか親近感はあるけれども、彼の退廃的な自殺未遂常習者の生き方には、共感するものはなにも持ち合わせていないし、わたしが生きてきた様ともまったく異なっている。

今では、彼の小説は青空文庫で読むことができる。本を買いに出かけたり、図書館へ行く必要もない。その青空文庫で、以前、人間失格を読んでみた。
読んでいて気が付いたのだが、最初の数ページは、なんとなく、しかしおぼろげにだが、読んだ覚えがある。ところが、後半部分になるとまったく記憶の片隅にも残っていない。というより、読んでいないのだと思う。すこし読んではみたが、途中で読むのを止めてしまったにちがいない。若いころの私には、そんなに面白くなかったとしても無理はない。

あらためて読んでみると、この小説は他人の日記を元に書いたことになっているが、本人の自伝ではないのかと思えてくる。

この小説にも神がちらっと出てくるが、使徒パウロやイスカリオテのユダのことを書いた短編も読んでみるとおもしろい。
とくに、ユダの気持で書いた短編は、太宰治の心を反映しているのか、ちょっと不気味ささえ感じる。
キリスト教に関心が少なからずあったのだろう。自分で使っている聖書を、「手垢のついた」と言っているほどで、相当、読み込んでいたことが想像される。しかし、どうして入信しなかったのか。もしも、キリストを信じていれば、自殺からはもう少し距離をおけたのではないか。

だが、単純にそうとは言えない面もある。
ダンテの神曲では、地獄は9圏の段階に分けられている。第9圏が最も重い罪とされていて、自殺は自己に対する暴力の罪で第7圏。
当時のカトリックも自殺は重罪と教えていて、もしも、自殺未遂者が捕らえられると過酷な刑罰が待っていた。
太宰治も、そのくらいのことは承知していたにちがいない。

けれど・・・。
聖書には、自殺がどのような罪になるのかには触れていない。

自殺者のはなしは2~3ある。
先ほどのイスカリオテのユダの自殺。これはマタイの福音書に書いてあることで、使徒行伝には自殺とはなっていない。
もうひとり、サムエル記に出てくる、イスラエル初代の王、サウルが自殺したと書いてある。だが、この場合は戦いのなかでのはなしで、単純に自殺とは言えないかもしれない。

日本では、細川ガラシャ夫人が自殺はできないと、家来に命じて自分を殺害させたはなしが有名だが、サウル王の場合も似たような状況で起こった。ペリシテ(パレスチナの由来)との戦いで負傷したサウル王は、家来に自分を殺すように命令する。しかし、家来してみれば、とてもそんなことはできないということで、命令に応じない。ついにサウル王は、敵に辱めを受けるくらいならと、自分の剣の上に身を伏せて自害してしまう。
神によって選ばれた王が、最後は神に捨てられてしまうのだから・・・。まさに、悲劇の王だ。

さらにもうひとり。有名なダビデ王の息子、アブシャロムの反乱のときに自殺者が出ている。名前は思い出せないが、かつてダビデの側近だった高官だ。アブシャロム側についたが、自分の意見が入れられず、反乱が失敗にしたと判断したのか、結局、自殺してしまった。
この人は、ソロモン王の母、パテシェバの祖父にあたり、ダビデ王の不義が発覚したときダビデ王に対して怒ったと聖書に書かれている。

注文してあった、耳で聞く英語聖書「World English Bible in MP3」がやっと届いた。
送りました、とのメールが届いてから約一週間、手違いがあったのかと心配したが、無事に届いてホッとしている。

さっそく聞いてみたが、はっきりした英語で、わたしでも思ったよりも聞き取りができそうだ。でも、いまさらの英語力不足はどうしようもない。もっと英語をしっかり勉強しておけばよかったと、ちょっぴり後悔。
上智大学に通っていたころ、英語の訓練を受けたが、僅か1年でやめてしまった。つまり中退。後悔先に立たず、そのものかもしれない。

中身はCDが2枚の簡単なものだが、これで創世記からヨハネの黙示録まで旧約、新約全部が入っているのだからすごいとしか言いようがない。
ただ、テキストがスタンダード版と少し違うようだ。わたしの持っている英語聖書は30年前に買ったスタンダード版のHOLY BIBLE。最新版とは違うのかもしれない。
HTMLのテキストも入っているので、ブラウザを立ち上げれば聖書の本文を読むことも可能。World English Bibleという、WEB用につくったもののようだ。

気になる価格は、本体が15ドル25セント、荷造りと送料合わせて3ドル5セント、合計18ドル30セント。
ただ、封筒にFIRST-CLASS MAIL INTERNATIONALと表示されていて、その上に3ドル60セントと印字されてある。送料?
結局、総額がいくらになっているのかははっきりしないが、いずれにしても日本円で2,000円台で済むはずだ。
同じような商品が、アマゾンでは10,000円を超えていることを考えると、こちらは非常に安価。
WEBからダウンロードもできる。ちょっと面倒だが、こちらは無料。

さて英語版リビングバイブルにするか、それともこちらのWorld English Bibleにするか、ちょっと迷っているけれども、とりあえず両方ともやってみるか。

森の避難小屋
どうしてなのかわからないが、ブロガーにログインできない。グーグルアカウントを使用してくださいの表示がでて先に進まない。
しかたなく、この文章はFirefoxのBlogThisで投稿している。こちらはいつものIDとパスワードでログインできた。

なにか、しばらく使わないでいたら、いろいろと変わってしまったようだ。前回投稿したときは、コメントの文字が表示されない状態に・・・。コメントはほとんどないので、別にかまわないのだが、どうにも気持が悪いものだ。設定が変更されていないか調べたけれども、変更もされていないようだ。

とにかく、よくわからないことばかり。

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