太宰治の桜桃忌

心中自殺した太宰治が玉川上水で発見された日、6月19日。そして太宰治本人の誕生日だ。桜桃忌と言われている。
その、ちょうど一ヶ月後、7月19日にわたしが生まれた。

そういうわけで、なぜか親近感はあるけれども、彼の退廃的な自殺未遂常習者の生き方には、共感するものはなにも持ち合わせていないし、わたしが生きてきた様ともまったく異なっている。

今では、彼の小説は青空文庫で読むことができる。本を買いに出かけたり、図書館へ行く必要もない。その青空文庫で、以前、人間失格を読んでみた。
読んでいて気が付いたのだが、最初の数ページは、なんとなく、しかしおぼろげにだが、読んだ覚えがある。ところが、後半部分になるとまったく記憶の片隅にも残っていない。というより、読んでいないのだと思う。すこし読んではみたが、途中で読むのを止めてしまったにちがいない。若いころの私には、そんなに面白くなかったとしても無理はない。

あらためて読んでみると、この小説は他人の日記を元に書いたことになっているが、本人の自伝ではないのかと思えてくる。

この小説にも神がちらっと出てくるが、使徒パウロやイスカリオテのユダのことを書いた短編も読んでみるとおもしろい。
とくに、ユダの気持で書いた短編は、太宰治の心を反映しているのか、ちょっと不気味ささえ感じる。
キリスト教に関心が少なからずあったのだろう。自分で使っている聖書を、「手垢のついた」と言っているほどで、相当、読み込んでいたことが想像される。しかし、どうして入信しなかったのか。もしも、キリストを信じていれば、自殺からはもう少し距離をおけたのではないか。

だが、単純にそうとは言えない面もある。
ダンテの神曲では、地獄は9圏の段階に分けられている。第9圏が最も重い罪とされていて、自殺は自己に対する暴力の罪で第7圏。
当時のカトリックも自殺は重罪と教えていて、もしも、自殺未遂者が捕らえられると過酷な刑罰が待っていた。
太宰治も、そのくらいのことは承知していたにちがいない。

けれど・・・。
聖書には、自殺がどのような罪になるのかには触れていない。

自殺者のはなしは2~3ある。
先ほどのイスカリオテのユダの自殺。これはマタイの福音書に書いてあることで、使徒行伝には自殺とはなっていない。
もうひとり、サムエル記に出てくる、イスラエル初代の王、サウルが自殺したと書いてある。だが、この場合は戦いのなかでのはなしで、単純に自殺とは言えないかもしれない。

日本では、細川ガラシャ夫人が自殺はできないと、家来に命じて自分を殺害させたはなしが有名だが、サウル王の場合も似たような状況で起こった。ペリシテ(パレスチナの由来)との戦いで負傷したサウル王は、家来に自分を殺すように命令する。しかし、家来してみれば、とてもそんなことはできないということで、命令に応じない。ついにサウル王は、敵に辱めを受けるくらいならと、自分の剣の上に身を伏せて自害してしまう。
神によって選ばれた王が、最後は神に捨てられてしまうのだから・・・。まさに、悲劇の王だ。

さらにもうひとり。有名なダビデ王の息子、アブシャロムの反乱のときに自殺者が出ている。名前は思い出せないが、かつてダビデの側近だった高官だ。アブシャロム側についたが、自分の意見が入れられず、反乱が失敗にしたと判断したのか、結局、自殺してしまった。
この人は、ソロモン王の母、パテシェバの祖父にあたり、ダビデ王の不義が発覚したときダビデ王に対して怒ったと聖書に書かれている。

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