カラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟」全5巻をやっと読み終えた。

第4巻はドミトリーの有罪判で終わっている。別巻があるということは知っていたが、とくに読む必要はないかなと考えていた。
ところが、書店でその別巻を立ち読みしていると、まだ物語は続いている。そう、単なる別巻ではなく、エピローグ・別巻となっている。調べてみると、エピローグというのは、詩歌、小説、演劇などの集結部を意味するらしい。

そういうわけで、すぐに買い求めつづきを読み始めた。
エピローグは約60ページですぐに終わった。
第1巻からエピローグまで総ページ数は2,000。何ヶ月かかったことか。しかし、よくもまあ読み続けたものだ。

エピローグのあとは、訳者による「ドストエフスキーの生涯」「年譜」「解題「訳者あとがき」となっている。
訳者による解題を読んでいて、じつはあまり深く読み込んでいなかったことに気付かされた。ひと通り読み通したと言うのが実感。

トルストイとかドストエフスキーの小説などというと、たいていは途中で挫折してしまうのが常だったが、この小説は最後まで読み通した。
訳者が書いているとおり、平易な生きた言葉で書かれていて、リズム感もばっちり。飽きることなく読むことができる。とにかく面白い。

ロシア文学は名前がつまずきのひとつらしい。この小説では訳者ができるだけ簡略化したと書いているが、正式名で書かれている後にすぐに愛称出てきたりして、ときどき混乱させられる。
この文章も名前を愛称で書いたらいいのか、それとも正式名で書いたらいいものかちょっと戸惑う。

だが、エピローグを読み終えるとなぜか物足りなさがつきまとう。どうしてか?
兄弟の物語が中途半端なところで終わってしまっているので、どうしても消化不良を起こす。そのあとどうなった?
それと、途中で出てきたリーズはいったいどうなる。コーリャは?
イワンは?クルーシュニカは?カテリーナは?さらに有罪となったドミートリーは?
皆どうなったのか?
それよりも問題なのは、主人公アリョーシャはこの後どうなったのか?

訳者の解題にそのへんのことが書かれている。
カラマーゾフの兄弟を書き終えたあと、ドストエフスキーの突然の死が葬り去った、書かれることのない第二の小説があったのだと言う。
確かにそういうことでないと私にも納得できない点が多い。

第4巻に、ストーリーとは脈絡がなく少年たちとアリョーシャの物語が書かれている。小説を読み終えると、あの少年たちはいったいなんだったんだと言う疑問がわいてくる。
エピローグで再び最後に少年たちが出てくる。そして、最後に「カラマーゾフ万歳」で物語は終わる。これって、いったい・・・。

訳者も書いているように、この第二の小説は想像するしかないようだ。なんのメモもそのことについて作者は書いていないらしい。二度と書かれることのない小説のことをあれこれ詮索するのもいいが、わたしの今の気持は他の小説も読みたくなってきた、に傾いている。
それよりも、解題に出てくるゲーテのファウストの方に関心が移っているのかもしれない。

放蕩生活をしたあげく、冤罪の十字架を背負いながらも生き抜こうと決心するドミートリー。
神に愛され、祝福されて生きているように見えるアリョーシャ。
一方、幻覚となっているが、じつは悪魔に魅入られたイワン。
イワンが悪魔めがけてコップを思いっきり投げつけると、悪魔が言う。「マルチン・ルターが投げつけたとかいうインク瓶、思いだしましたよ!」と。

聖書のヨブ記の解説でもゲーテのファウストが出てきた。私は読んだこともないし、なんの知識もないが、悪魔と人間との関わりが主題になっているということはなにかの本を読んで知っている。
しかし、ただそれだけしか知らない。
だが、このファウストを読みたくなった。

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