このグランドキャニオンへは今回で二回目。
だが、前回と今回とでは私にとって、大きく様変わりしたことがひとつ。
旅行中、と言っても旅行していないときもだが、インスリンを常時携帯して、注射し続けなければ命がなくなる、ということ。
命がなくなるとは穏やかでないが、じつは正直、そういうことだ。
前回利用した航空会社は大韓航空。座席は満席でなく、空席も多く残っていたので横になって寝ることができた。おまけにスチュアーデス(今はそう呼ばない?)は韓国美人、機内食が待ち遠しかったほど、快適な空の旅だった。
ノースウェスト航空を使った今回の旅は、残念ながらそうではなかった。座席は満席、空席はまったくない。そして、いちばん煩わしいのが機内食だったとは。
10時間も飛行機に乗って飛んでいると、普通でも体調が悪くなるが、インスリンを打ち続けている身体は以前よりも少し弱っていた。やはり体調悪化は以前より大きい。
そして、予告なく出てくる機内食。これがいちばんの強敵。
ファーストクラスやビジネスクラスのゆったりとした座席ならまだいいのだろうが、エコノミーの狭い座席でのインスリン注射は苦痛をともなう。
人前でインスリンを注射することに抵抗感はない。相手が気分を悪くしないかな、とは思うが、自分では恥ずかしいとは考えていない。だが、別室があれば必ずそちらで注射をするようにしている。なにも注射をしているところをわざわざ見せる必要もない。
機内食が予告なく出てくると書いたけれども、正直、ふいをつかれるといった感じで突然やってくる。遠くの方で配っているのが確認できればまだ余裕はある。トイレにでも行って注射すればいい。しかし、目を覚まして、気が付いたら機内食がテーブルに置かれていたなんてことも当たり前のようにある。そんなときは仕方がない、食後の注射という手でその場をしのぐ。だが、中途半端な時間のときはどうする?
私はそそくさと注射器を取り出し、ゴソゴソさせながらすばやく注射をした。しかし、隣で寝ていると思ってきた年配の黒人夫人がそれをしっかりとみていた。その顔は、一気に不快感のあらわれた表情に変わったのがはっきりと分かる。
彼女は、自分の方にかかっていた毛布を私の方にはねのけて、不快感を態度に出して、まるで抗議しているかのようだ。
麻薬でも注射していると思ったのだろうか。
旅行に出る前、私の主治医がインスリン携帯の証明書を作ってくれた。税関検査のときインスリン器具が麻薬と間違われると大変なことになると言うのだ。
私が、「そんなこと大丈夫ですよ」と言うと、主治医は、英語で正確にきちんと説明できますかと言って私を説得した。
その証明書をその夫人に見せてしまおうかとも考えた。でも、やめておいた。
単に気分を害しただけのことだ、騒ぎ立てているわけではない。
税関ではインスリン注射器具がチェックされたことは一度もない。手荷物バッグの中にデジカメ用の一脚が入っていて、それがレントゲンを通してみると小型の拳銃のように見える。これがどこの空港でも引っ掛かってしまい、バッグの中身を確認してもいいですかと係員の質問が迫ってきた。そのとき、インスリン注射の器具一式を見ているはずだが、とくに確認することはなかった。
インスリン注射をしているから同情してもらいたいとか、大目に見て欲しいとか、そんなことは考えたこともない。ただ、普通の人と同じに扱ってほしいだけのこと。
隣の夫人はさぞびっくりしたのだろうが、私が貧弱な英語で説明した方がよかったのかどうか。かえって火に油を注ぐ結果になっていたかもしれない。
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